2018年11月10日

西国三十三所巡礼 第三十三番札所 華厳寺

西国三十三所巡礼 第三十三番札所 華厳寺
住所:岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
<十一面観世音菩薩>

いよいよ結願のお寺まで来ました!
4年ほどかかりましたが、結願できたことありがたく思います。

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参道が結構長くて、色んなお店が並んでいました。
この時期は柿が多かったです。
あと門前町だからか、仏具関係も多い感じでしたね〜。
華厳寺は紅葉でも有名な所ですが、紅葉はまだまだこれからといった具合でした。

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山門も立派です。

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この階段の上が本堂です。

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本堂前の柱には精進落としの鯉があって、満願したあとに触れて俗界に帰るとのことです。私も触れてきましたが、長くかかった分感無量ってカンジでした。

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こちらは満願堂です。
華厳寺では本堂と満願堂、オイズル堂の三ヶ所お詣りします。現在、過去、未来を願うそうです。納経帳も3ヶ所分いただきます。
ここでお終いではなくて、これからも続いていくんだという気持ちがしました。
気軽にはじめた西国でしたが、三十三所巡礼できて良かったなと思いました。ありがとうございました!

posted by 花衣 悠希 at 16:40| Comment(0) | 西国三十三所巡礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月08日

西国三十三所巡礼 第三十二番札所 観音正寺

西国三十三所巡礼 第三十二番札所 観音正寺

住所:滋賀県近江八幡市安土町石寺2
<千手千眼観世音菩薩>

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ずっと行きたいと思っていた西国三十三所のお寺にようやく行くことが出来ました!
観音正寺は昔お城めぐりで観音寺城の敷地に観音正寺があったので、その関連で行ったことはあったんですが、その当時はお寺自体に興味がなく(苦笑)、見事にスルーだったので、今回改めてご縁をいただけてありがたく思いました。

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山寺ですので、山道を歩きます。
途中まではタクシーで上りました。これは楽チンです☆
でも前に来た時はマイクロで途中まで上がって、その後石段を大分上ったんですよね〜。今回は平坦で全く石段がなかったので「へー、こんな楽な道もあるんだ〜。」と思いました。

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こちら本堂です。
雨が降っていたので、あまり写真は撮れませんでした。
平成5年に焼失してしまい、平成16年に落慶した新しいものです。
観音さまも白檀で刻まれた坐像で、その大きさに圧倒されます。
近くまで行けて御身拭いをさせていただいて、すごく畏れ多い気分でした。
posted by 花衣 悠希 at 21:23| Comment(0) | 西国三十三所巡礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月06日

勝瑞城跡

勝瑞城跡
住所:徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地
沿革:16世紀末 三好氏によって築かれたと言われる。
三好氏と長宗我部氏との争いの中で詰城として築かれる。
天正10年(1582) 長宗我部氏によって落城となり、廃城となる。

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久々にお城に行ってきました。
このお城は中世に作られたものですが、珍しく平城です。
近くに館跡もあり、そっちの方が大きく発掘調査やってました。

お城は現在見性寺の境内になってます。

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こちら境内の中です。お城感は全くありません。

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奥に土塁があります。大分低くなってるような気がします。

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堀です。ぐるり一周堀で囲まれています。堀幅が狭いのはまさに中世なお城やなあと感じます。

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こちらは近くにある勝瑞城館跡です。こっちの方が敷地大きいです。

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復元されているところもあります。が、堀跡とかコンクリで固められているので、ちょっと微妙。
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2018年09月09日

大給城跡

大給城跡
 住所:愛知県豊田市大内町字城下
 沿革:築城年代不明      土豪長坂新左衛門によって築かれる。その後、岩津に進出した松平宗家3代信光が攻略。三男親忠に与える。親忠は細川城と共に次男乗元に譲り、乗元が大給松平氏の初代となる。
    永正 7年(1510) この頃まで大給松平2代乗正が城の大改修を行う。
    天正12年(1584) 大給城から細川城へ居城を移したあと、徳川氏か豊臣大名により改修される。
    天正18年(1590) 大給松平6代家乗の時に家康の関東移封に伴い、上野国那波へ1万石で転封。大給城は廃城となる。

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三河大給城は松平家のふるさとと言えるお城です。
家康系のお城で石垣づくりって珍しいですね。
元々岩山だったみたいなんですけど、地形を上手く利用してお城をつくっているのが分かります。
見ごたえあるお城だと思いました。
この日は雨模様だったのですが、丁度雨の止み間に登城できて良かったです。

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ここから登城します。

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大給松平家初代松平乗元のお墓です。
この廟所は文政天保の頃に出来たものだそうです。意外・・・。

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「国指定史跡松平氏遺構大給城跡」の立派な碑が建ってます。後ろにあるのが堀切になってます。

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石がごろごろしてて、すごく迫力あります。

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虎口です。左側の盛り上がっているところは櫓台です。
曲げて曲げて入り口に入る辺りは「王道」のつくりをしていると思います。

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こちらは次のエリアに入る虎口と櫓台です。こっちの方が少し小ぶりですね。

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奥に土塁跡があります。中世山城に土塁があると個人的にホッとします(苦笑)。

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中央に看板がありまして、下に行くと水ノ手曲輪、左の階段を上がると主郭になります。

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先に主郭に上がります。

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石垣が見えてきました。

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石垣の端の部分ですが、上手く積んでるなあ〜というカンジです。

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隣の郭との境の石垣です。よく残っていますね。

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この郭の中央部分に明治天皇碑が建てられています。
こんなとこにも天皇来られるんやな〜とびっくりです。陸軍の演習をご覧になられるのに、ここまで来られたみたいなんですけど、それもまた大変ですね・・・。

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隣の郭に行きます。ちょっと雨粒がレンズに付いてしまいました(残念)。

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隣の郭との境の石垣、こちら側からみるとこんなカンジ。

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先に進むと、物見台があります。

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眺めはこんなカンジ。さすが山城だけあって、そこそこ高いところにあるので見晴らしは凄くいいです☆

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横からみると、こんなにでっかい石!巨石!!すごいな〜(驚)。

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で、主郭から下りてきまして、こちら水ノ手曲輪です。

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石垣も利用されているみたいです。
かなり大きな施設だったのかな〜と思います。水の確保は大変です。
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2018年09月03日

大樹寺

大樹寺
 住所:岡崎市鴨田町字広元5−1

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大樹寺は松平家・徳川将軍家菩提寺で、文明7年(1475)に松平家4代親忠の創建です。
家康が19歳の時に桶狭間の合戦で今川義元が倒れ、身の危険を感じた家康が大樹寺に逃れて自害しようとしたところ、住職の登誉上人に諭され思いとどまったというお寺でもあります。

以前岡崎城を訪れたときに、この大樹寺のことも知って、一回行ってみたいな〜と思っていたのですが、今回訪れることが出来て良かったです。

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こちらは山門です。寛永18年(1641)3代将軍徳川家光建立です。
境内から山門、総門を通してその真ん中に岡崎城が見えるらしいんですけど、ちょっとよく分からなかったです・・・(汗)。
山門から総門の間に小学校があって、運動場になってるのにびっくりしました。

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家康公お手植えのしいの木です。永禄3年(1560)19歳のときと伝えられています。ものすごい大事にされてるのが分かります。

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廟所です。元和3年(1617)に2代将軍徳川秀忠が修復再建したものだそうです。松平家8代のお墓が並んでいます。

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多宝塔です。重要文化財です。天文4年(1535)松平清康建立とのことです。

あと宝物殿には松平家、徳川将軍家の位牌が位牌堂にお祀りされています。こちらの御位牌は将軍の身長の高さに合わせて作られているそうです。大体150cm〜160cmが多いですけど、5代綱吉が124cmと小さいのが意外でした。8台吉宗も155cmで、もっと身長ありそうなイメージだったんで、それも意外でした。
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2018年08月28日

東海道を歩く 第4回・石部宿から水口宿

東海道を歩く 第4回・石部宿から水口宿

 開催日:平成30年8月25日(土)

本当は先月に開催予定やったんですが、台風の影響で1月遅れになりました。
今回も直前に台風来てて、内心ひやひやものでした。少し早く通りすぎてくれたので良かったです。
暑かったけどね〜(苦笑)。ペットボトル4本飲みましたよ〜。

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ということで、前回のゴール地点石部宿碑からスタートです。

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こう見ると意外と道幅がある気がします。
ただあまり宿場っていう雰囲気はないです。

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石部宿の西見附跡です。西口になります。

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石部の一里塚跡です。碑だけです。これはちょっと味気ない・・・。

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田楽茶屋です。歌川広重の東海道五十三次の中で石部宿はこの田楽茶屋が描かれていて、こちらはその再現なんだそうです。かなり気合入っている感じがします。

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小島本陣跡です。石部宿には幕府直轄と膳所藩直轄の2つの本陣がおかれたらしいです。こちらは膳所藩の方かと。明治天皇も宿泊されているそうで、明治天皇聖蹟碑も建てられています。さすが碑がめちゃデカイです。

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吉姫神社です。参拝させていただきました。

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石部宿の東見附跡です。一応ここまでが石部宿ということになります。

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高木陣屋跡です。元禄11年(1698)に道中奉行に任命された高木伊勢守が元禄12年(1699)に建てた陣屋の跡とのことです。明治維新後取り払われたのですが、その門は現在三雲にあるレストランの入り口の門として再移築されてるそうです。どんなんか見てみたいです。きっとすごい重層感のあるカンジなんでしょうね。

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北島酒造です。御代栄という銘酒をつくられています。今回歩いた東海道の中で一番風情ある建物だった気がします。

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前に見えているトンネンが由良谷川隧道です。明治19年(1886)築造とのことです。元々由良谷川は天井川でこのトンネルの上を川が流れていたそうです。

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今の上の様子はこんなカンジ。水が流れていない分、草でもりもりです(苦笑)。

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夏見の一里塚跡です。こうなってくると碑があるだけましってカンジですかね。

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大沙川隧道です。こちらは明治17年(1884)築造です。この川も天井川だったとのこと。この辺り多いですね〜。

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さらに進んで、こちらにも明治天皇聖蹟碑があります。これもまた大きいです。

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横田橋を渡ります。本来はもう少し先まで行って、野洲川を渡っていたようなんですけど、今は道がないので手前のこちらを渡ります。

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こちらがその横田の渡しがあったところです。常夜燈も立派ですね〜。

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これがその渡っていた川ですけど、この日は水流が速い気がしました。台風の後やったからかな。

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泉の一里塚跡です。こちらはモニュメントとして小ぶりな一里塚が再現されています。中山道でリアルにでかい一里塚を見てしまっているので、どうしても「あ〜ちっちゃいな〜」って思ってしまうんですけど、雰囲気はありますよね。努力を感じます。

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道中基本まっすぐなので、どうしても黙々と歩いてしまいます(苦笑)。こんな看板があったりすると気が紛れて良かったりします。

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柏木公民館です。手前に水口宿って看板ありますけど、厳密にいうとまだ入ってないです(苦笑)。

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水口一里塚跡です。隣にあるのが五十鈴神社です。実はこの辺りで水口宿に入ってます。何か宿場の中か外かがあまり区別がつかないんですよね。いつの間にか入ってる感がすごいあります。

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今回の東海道はここまで。これから近江鉄道水口城南駅に向かいます。

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木々に覆われていて見えにくいですが、こちら水口城跡です。前に行ったことあるなあと思い出しました。懐かしい・・・。

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水口城南駅です。
取りあえず無事ゴールできて良かったです。次回も開催されることを祈ってます。
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2018年08月05日

大阪歴史博物館 明治維新150年NHK大河ドラマ特別展 西郷どん

大阪歴史博物館 明治維新150年NHK大河ドラマ特別展 西郷どん      

 住所:大阪市中央区大手前4丁目1−32
 会期:2018年7月28日(土)〜9月17日(月・祝)
 開館時間:9:30〜17:00(会期中の金曜日は20:00まで。入館は閉館の30分前まで)
 休館日:火曜日(ただし、8月14日は開館)

この日は14:00から学芸員の豆谷浩之さんによる西郷どんの展示のみどころ解説がありまして、それに参加してから実際の展覧会会場に行きました。やっぱり話を聞いてからの方がよく分かりますね。(逆に説明されたとこしか見ないってのもあるけど(苦笑)。)
実は私自身は今回の大河は初回を見たっきりだったりします。いや、別に題材が嫌いとか脚本があかんとかではなく、単に生活リズムの中に上手くTVが入ってこないだけなんですけどね・・・。

では、みどころ解説でお話されたことを中心に感想を記したいと思います。
まずは島津斉彬所用の紫糸威鎧です。実際にこれを着用してたというのではなく、江戸期に武士が一番カッコよかった鎌倉期の鎧兜が流行ったらしいので、こういうのがあるそうです。これの特徴は兜に狐が乗っているところです。これは島津の守り神ということです。島津の祖先は源頼朝の御落胤という説があって、住吉大社で産気づいたときに助けてくれた、ということから守り神となっているそうです。実際兜を見ましたけど、本当に中央に可愛らしくいらっしゃいます。

篤姫関係のものもありまして、天璋院所用 貝合道具は篤姫の輿入れの際にその行列の先頭にあったともいわれています。貝桶に鳳凰があしらわれていて豪華でした。他にも掛袱紗や堤帯などどれも華やかでした。西郷さんは篤姫の婚礼の準備にも関わっていたとのことです。

また愛加那宛西郷隆盛書状は興味深い資料だな〜と思いました。明治6年のものなんですけど、愛加那さんとの子の菊次郎がアメリカに留学に行ってて、彼から手紙が届いた、写真も来たので見てくれといった内容です。そしてもう一人の子の菊子が今は愛加那のところにいるんだけど、自分の手元に引き取って育てたいといったことも書かれているそうです。西郷さんと家族の関わりがちょっと垣間見える手紙で面白いですね。

久光行列の毛槍も中々歴史的瞬間に立ち会ってて、そういう意味ではすごいです。展示されてたのは槍の飾りなんですけど、めっちゃ大きいです。これ大名行列に使っていたもので、あの生麦事件の時にも使われていたんですね〜。びっくりです。

西郷隆盛所用 刀装具(縁頭、目貫)のエピソードも面白かったです。西郷さんは犬、特に猟犬が大好きで、とある人が飼っていた雪という猟犬を譲ってもらったときにそのお礼として渡したものだそうです。が、これは元々西郷さんが陸軍大将になったときに明治天皇からいただいたものだったんです。いや〜西郷さんらしいというか、何だかすごいですねえ。

これは知らなかったんですけど、西郷さんが亡くなられたあと、京都の清水坂辺りに西郷像を作ろうという計画があったらしいんです。これはものすごい立派です。西郷さん馬に乗れなかったんですけど、この像は馬に乗ってます。その部分だけで3mくらいあって、全体としては10mくらいになるものだったらしいです。いざつくる段になって発起人が亡くなってしまって頓挫してしまったそうです。実現してたら、と思うとわくわくしますね。イメージ全然違ってくるでしょうね。

西郷さんの肖像画が何点か並べて展示されていました。同時にこれだけのものを見ることができるのはないと思いますけど、そして若干の違いはありますけど、どれもすごく西郷さんを尊敬している、敬愛しているってのはすごく伝わって来ました。それだけ人々に慕われてきた人だったってのが感じられました。でも錦絵になるとなぜかヒゲ面になるらしいです。面白いですね(苦笑)。
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2018年07月21日

沼田城跡

沼田城跡
 住所:群馬県沼田市西倉内町594(沼田公園)
 沿革:天文 元年(1532) 沼田氏12代万鬼斎顕泰、沼田城を築城。
    天正 8年(1580) 真田昌幸、沼田城を攻略。
    天正18年(1590) 真田昌幸の長男信幸が沼田領2万7千石の初代城主となる。
    慶長 2年(1597) 五層の天守が完成。
    慶長19年(1614) 城下町としての形態が整ってくる。
    天和 元年(1681) 真田氏5代藩主信利が江戸両国橋用材の伐出し遅延と失政の名目で領地没収、改易となる。
    天和 2年(1682) 沼田城は破却。その後天守閣は再建されず。
    元禄16年(1703) 本多正永が2万石で入封。3代続き、その後代官支配となる。
    享保17年(1732) 黒田直邦が2万5千石で入封。2代続く。
    寛保 2年(1742) 土岐頼稔が3万5千石で入封。12代続く。12代頼知で明治維新を迎え、廃城となる。

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沼田城は真田信幸にーちゃんのお城なんで、すごく楽しみなお城だったんですけど、真田は5代めで改易されてお城も破却されているので、ほとんど跡が残ってないですね〜。現在沼田公園として残っていること自体が奇跡かも。
12代も続いた土岐氏よりも真田氏で推すんや〜というカンジではあります。まあそういうとこ多いですけどね(苦笑)。

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沼田公園に入る手前のとこに、三の丸土居堀跡の碑があります。ちょっと土で盛り上がっています。

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公園に入ったところが本丸にあたります。

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本丸御門跡です。碑があります。

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本丸堀跡です。本丸から二の丸の間に作られたもので、本丸側に石垣が積まれ、沼田城で最も大きい堀でした。
昔の絵図によると、堀幅12間(約24m)、堀高3間(約6m)だったそうです。奥に水がたまっているのがその名残なんだとか。
石垣は4分の1が現存、あとは破却されているようです。

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真田信幸と小松姫の像です。もう少しカッコよくつくって欲しかったな〜。

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英霊殿裏手の小高いところが天守跡です。
9間×10間(約18m四方)の方形で、五重。石垣の高さは8間(約14m)あり、天守の付近で金箔瓦も見つかっています。
絵図によると千鳥破風が多く最上階には高欄が巡らされていたようです。
金箔を使えるお城ってやっぱ特殊ですよね〜。

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捨曲輪から見た景色です。のどかですねえ。こちらは名胡桃城の方角ですけど、よく分からないですね。

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西櫓台の石垣です。ここが一番石垣が残っているところなので、一周します。

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大きい石がごろっと。

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この先は割ときっちり積まれています。

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角の部分です。この石はでかい!

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これは見ごたえあります。

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上から改めて見るとこんなカンジ。左側の小高いところに櫓が建っていたようです。
この石垣は真田時代のものだそうで、お城が破却されたときに破壊ではなく埋められたので、現代の発掘で出てくることができたとのことです。壊すよか埋める方が楽ですけど、そうしてくれたおかげで今真田時代の石垣が見れるのだから良かったですよね。まあ、欲を言えば改易しないでくれたらずっとお城は残るのだからその方がもっと良かったですけどねー。上手くいけば天守が見れたかもしれないしね。
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2018年07月16日

名胡桃城跡

名胡桃城跡
 住所:群馬県利根郡みなかみ町下津
 沿革:永禄 3年(1560) 長尾景虎、関東へ出陣。上野沼田城などを攻略。
    天正 7年(1579) 真田昌幸、武田勝頼の命を受けて利根に侵攻。名胡桃館を攻略し、隣に名胡桃城を築く。
    天正10年(1582) 武田氏滅亡。真田氏と北条氏が上野利根郡・吾妻郡を巡って争う。昌幸は沼田城を死守する。
    天正14年(1586) 昌幸が名胡桃城を含めて近隣諸城を補強改築する。
    天正17年(1589) 豊臣秀吉が真田氏と北条氏の争いを調停。名胡桃城は真田氏のものとされる。が、北条氏の家臣の沼田城代猪俣邦憲が名胡桃城を奪う。これが関東惣無事令に違反したとして秀吉の小田原攻めの口実となる。
    天正18年(1590) 秀吉による小田原攻め。その後廃城となる。

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松井田城の次に訪れたのが名胡桃城です。
ここは小田原攻めのきっかけとなったお城で、真田昌幸の家臣の鈴木主水が城代でした。
私にとっては真田太平記の印象が強すぎて(笑)、もうどんなお城なのかワクワクしてました。
思った以上に小ぶりなお城でした。で、ちょっとやり過ぎくらい綺麗に整備されてました。もう少し隙があった方が私は好きなんだけど・・・。

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現在駐車場になってるところが般若郭で、館があったところです。もしかしたら名胡桃城築城以前からあったかもしれないところです。

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般若郭から本郭を見たところです。かなり大きい堀切で分断されています。

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般若郭の隣に本郭エリアがあり、その入り口の馬出です。馬出とは城の出入り口の外側に堀や土塁で造った防御・攻撃施設で、こちらは丸馬出になってます。これは武田氏がよく用いたもので、武田氏の影響をすごく受けてるなあと感じます。

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三郭です。元は三日月堀による丸馬出だったようですが、埋め立てて三郭にしたとのことです。大きな馬出だったとも考えられています。

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二郭南虎口です。

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二郭です。建物があった跡が表示されています。

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二郭北虎口です。これは分かりやすいですね〜。

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本郭です。天守はなかったそうです。石碑もあります。

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もっとすごい石碑がこちら。徳富蘇峰の揮毫です。大正12年に地元の有志によって保存会が結成され、よく保存管理されてきたとのことです。地道な努力があったからこそ、今こうしてお城跡を見る事ができるので本当に感謝です。

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本郭の前にあるささ郭の先端部分です。ささ郭は本郭が外にむき出しにならないように設けた郭だそうです。この先に物見郭もあるらしいんですが、私にはよく分からなかったです・・・、何かそういうの、よう見つけられないんですよね〜(涙)。
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2018年07月14日

松井田城跡

松井田城跡
 住所:群馬県安中市松井田町高梨子
 沿革:弘長 2年(1262) 北条時頼が青砥左衛門藤綱に命じて青竜山霞ヶ城を築城させたと伝わる。
    文明18年(1487) 安中出羽守忠親、越後国新発田から松枝小屋城に移住。松井田城安中郭がこの頃から整備される。
    永禄 2年(1559) 安中左近忠成、原市榎下城下から野尻に移り、野尻を安中と改める。
    永禄 5年(1562) 武田氏の攻撃により、安中城開城、松井田城落城する。以降安中氏は武田氏に臣従する。
    天正10年(1582) 織田氏の甲斐侵攻により武田氏滅亡。松井田城には滝川一益配下の武将が城代として入る。その後本能寺の変。滝川一益が撤退した後、北条氏の城となり家臣の川越城主大道寺駿河守政繁が城主となる。
    天正18年(1590) この頃から松井田城が大掛かりに拡張される。その後小田原征伐。前田利家・上杉景勝らの北陸方面軍3万5千人の攻撃を受けて開城。北条氏の滅亡に伴い松井田城は廃城となる。

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2日目の最初のお城は松井田城です。
前日に千葉沖で地震があって高崎でも揺れたらしいんですけど、なぜか私は気づかなかったです・・・(汗)。
で、松井田城は真田のお城ではありません。が、中世山城の遺構がすごくよく残っているお城ということで行ってきました。
ずっと個人所有だったのであまり手入れがされていなくて、遺構がそのまま残っているという貴重なお城だそうです。
行ったときは保存会の方たちが草刈りをしてくださっていたので、すごく歩きやすかったです。ありがとうございました☆
素朴感のあるお城で私的にはすごく好きなお城です。
いや〜、でも以前中山道で松井田宿・安中宿通ったときに松井田城があるのは知ってたけど、今回訪れるとは思ってなかったですので、これもまたご縁ですね〜。

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松井田城登山口です。ここから登城します。

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こちら側を進むと水の手です。が今回は行きません。反対側の城跡入口方向に進みます。

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横堀跡です。何かすごく埋まっていて、良く分からないカンジです。

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先に連続竪堀の方面に進んだので、こちらその手前にある武者だまりになります。
で、その先に連続竪堀の看板は見たのですが、もう草ぼうぼうで全然分からなかったです・・・(汗)。

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本丸方向に進んで、こちらが大手門跡です。基本土塁堀切のお城なんですけど、ここには石垣の跡がありますね〜。

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こちらを進みます。反対側が二の丸になります。

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本丸跡です。天守はなかったとのこと。奥のお堂には虚空蔵菩薩さまがおられます。

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二の丸側にも行きます。この間にある堀切はかなり大きいです。

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二の丸の手前にあるのが馬出です。

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そしてこちら二の丸です。奥に櫓台があるらしいんで行ってみたんですけど、またそれも良く分からなかったです(撃沈)。

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二の丸には土塁跡もありました。

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松井田城の駐車場付近からの景色です。何だかんだで「山」だな〜と。(当然か(苦笑))結構高いところにあるなあというカンジがしました。昔ここでドンパチやってたとは信じられないくらいの静かなところでした。
posted by 花衣 悠希 at 21:40| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする