2017年06月21日

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その6>

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その6>

(その5からの続きです。)

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中津川宿に入ってきています。
中津川宿に入ってくると急に賑やかになりますね〜☆丁度お祭りをやっていたのもありますが、銀行が並んでいたりして、この辺りの地域の中心地という感じがしました!馬籠宿出身の島崎藤村が中津川宿にあこがれていたというのも分かります。小説「夜明け前」を読むとその辺りの心理がよく分かるそうです。(私はまだ未読ですいません(汗)。)また幕末には中津川会議があったところでもあります。中津川会議とは、文久2年(1862)に長州藩主毛利敬親が京都に向かう途中に中津川宿本陣に到着すると、それまで隠れていた桂小五郎が出てきて藩主を説き「公武合体」から「尊王攘夷」に変えさせたというものです。その桂小五郎の隠れ家もあるそうですが、私は全然知らなくてそのまま通り過ぎてしまいました。まあ実際隠れ家だから中山道の本筋にはないんですけどね〜(笑)。今度はちゃんと勉強して訪れたいなあと思いました。しかしなんて言うか、こんなに隠れ家が似合う志士も珍しい気が(苦笑)。
さてこちらは中山道本道です。この細い道の急坂が本来の道であったそうです。今は行き止まりになっていて通れないらしいです。

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右手にあるのが、はざま酒造です。慶長6年(1601)創業で、銘酒「恵那山」の蔵元とのことです。400年以上続いているって凄いですね〜。

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十八屋(間家)です。旅籠を営んでいました。
元治元年(1864)に水戸天狗党が中津川宿を通過したとき、和田峠の戦いで負傷した若い武士を隠し部屋に匿ったそうで、その時の遺品が残されているそうです。またここには和宮さま御降嫁の際に京都御供が宿泊されたとのことです。

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中津川村庄屋跡(曽我家住宅)です。
江戸時代には庄屋、脇本陣を勤めたこともある肥田家(田丸屋)の建物だったとのことです。

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上の庄屋跡の向かいが中津川宿本陣跡になります。

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ここから右(西方)20mのところが脇本陣があった場所とのことです。

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四ツ目川橋を渡ります。

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丁度六斎市が開催されていて、出店とかで人がごった返していまして、ゆっくり町並みを見ている余裕が無かったです。ううむ〜ちょっと複雑ですね。

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茶屋坂の高札場です。この高札場は復元です。茶屋坂というだけあって上り坂になってます。

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芭蕉句碑です。
「山路きて何や羅遊かし寿み連草」とあります。

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結構な上り坂です。

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尾州白木改番所跡です。この番所結構あちこちにありますね〜。

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下の地下道をくぐります。

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左に進みます。

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左下にある碑のところが子野の一里塚跡です。
東塚にその痕跡が残っています。なぜかここの説明板が英語オンリーやったのにびっくり。外国の人しか来ないのここ?!(苦笑)

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与板立場跡です。
こちらには越前屋という茶屋があり、米の粉の餅に黒砂糖を煮詰めて塗った三文餅を売っていました。何かシンプルですけど美味しそう〜☆

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さらに進みます。

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赤い橋が見えてきました!うわ〜!懐かしい!!1年前にこの赤い橋目指して歩いていたのを思い出します。

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おがらん神社です。
こちらは木曽義仲の家臣の落合五郎兼行の館跡といわれていますが実際のところは微妙らしいです。

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神社の向かいにあるおがらん橋を渡ります。

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いよいよ落合宿に入ります!

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善昌寺の門冠の松です。善昌寺は慶長5年(1600)の創建です。まさに関ヶ原の戦いのときですね。
松は樹齢450年とのことです。ちょっと上の「頭上注意」がもの悲しいですが・・・。

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右側に写っているのが落合の助け合いの大釜です。
昔は寒天の原料の天草を煮るときに使われていたそうです。

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落合宿本陣です。
この門は加賀藩主前田家より寄贈されたそうです。そういうこともあるんですね〜。

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丁度イベント中で、本陣が開いていて中を見学させていただきました。ありがたいです☆
その内部はこんなカンジ。奥の方が上段の間ですね。和宮さまもここで休息されたとか。お座敷に上がることは出来ないそうで、ちょっと残念。

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上町の秋葉様の常夜燈です。寛政4年(1792)に建てられたものです。

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落合宿の高札場跡です。ここもホント懐かしい〜。
ここが今回のゴール地点です。
いや〜、感無量です(笑)。これで途中抜けたところが全部埋まりました☆
これで心置きなくお江戸日本橋までGOです!!
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2017年06月20日

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その5>

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その5>

(その4からの続きです。)

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中津川市に入りました。のどかな風景です☆

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篠原茶屋本陣跡です。
この辺りは茄子川村といい、大井宿と中津川宿の間の宿でした。
和宮さまや明治天皇もここで御小休され、その建物も残されているそうです。

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尾州白木改番所跡です。
本当にこの番所は多いですね〜。それだけ抜けが多かったのでしょうか。

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で、こちらは茄子川村の高札場跡です。ここが茄子川村の東口になります。

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県道420号線のガードをくぐります。

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坂を上がったところに坂本立場跡があります。何か絶妙な位置にあるなあ〜(苦笑)。
ここは古くは東山道の宿駅だったそうです。

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さらに進みます。

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三ツ家の一里塚跡です。微妙な盛土があります。

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千旦林村の高札場跡です。
千旦林村は茄子川村の隣村です。

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この辺りでお昼ご飯になり、再びスタートしました。

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六地蔵石憧です。
石憧は大林寺の入り口としての役割とともに、水害を佛にすがって避けることと、極楽往生を願うものとして明暦3年(1657)に建立されました。

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上宿の一里塚跡です。
現在南側の塚は消失し、北側の塚が復元されています。大きさは往時の3分の1くらいです。小ぶりです。

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この道を右に曲がります。左は苗木道とあります。

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こでの木坂です。坂の頂上に大きなこでの木があったことからこの名がついたそうです。
またこの辺りは東山道の坂本駅が置かれたところだったらしいです。

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この橋を渡るといよいよ(ようやく?)中津川宿です!

(その6に続きます。)
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2017年06月19日

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その4>

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その4>

(その3からの続きです。)

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2日めは前回の西行硯水公園からスタートです。
実は2日目だけで写真が何と284枚もあって(撮りすぎ?)、超盛りだくさんなのですが・・・これって果たして無事落合宿までたどり着けるんでしょうか自分(苦笑)。
それはさておき、少し歩いて行くと橋の向こう側に建物が見えてきます。
その左側が中野観音堂で、中野村高札場がありました。

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こちらは右手にある中野村庄屋の家です。屋号は本酒屋といいます。

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少し進んで、この辺りの地名が銀座というみたいです。何か銀に関連する場所やったんでしょうか。

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大井橋を渡った先が大井宿になります。
大井宿は美濃十六宿のなかで、最も繁栄した宿場でした。宿場内に枡形が六ケ所もあるのが特徴です。これはなかなかすごいです。

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ポストを右に曲がります。このポスト懐かしいな〜でも現役ですよ。

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曲がったところですが、青い車のある辺りが白木番所跡で、尾張藩の役人が常駐して木曽の材木の監視などを行っていました。また、その奥が市神神社です。ここを右に曲がります。

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すごくまっすぐに道がつくられているのがすごいです。

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大井村庄屋古屋家です。天保元年から20年間ほど庄屋を勤めました。大きな家ですね〜。

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旅籠屋角屋跡です。現在は旅館のいち川となっています。元は出桁造りだったようですが今は違いますね。
ここの旅館の反対側に進みます。

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かなり広い通りになります。

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明治天皇行在所です。明治13年(1880)6月にここ伊藤家にお泊りになられたとのことです。現在は岩井家です。今は一時休館とのことで中には入れません。残念。

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大井宿下問屋跡です。
大井宿は2ヶ所問屋があってこちらはその1つです。

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宿役人の家です。林家は本陣家から分家して以来、60余年問屋を勤めた家です。
大形旅籠屋でもありました。

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大井村庄屋古山家です。現在ひしや資料館となっています。
ここの家々って立派なの多いですね〜。

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この先を左に曲がります。がその曲がり口にあるのが本陣です。

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本陣は母屋は火災で焼失してしまいましたが、表門辺りは残ったそうです。
やはり重厚感が違いますね。

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この道の奥を左に曲がります。

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上り坂に入ります。

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坂の途中に高札場があります。こちらは復元です。
中山道の人馬賃銭札も架けてあったらしいです。

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山本用水です。
この地は大変水不足で困っていたので安永元年(1772)に灌漑用水として引いたものです。
昔の人々の苦労がしのばれます。

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上宿石仏石塔群です。
宿内に悪人や悪病が侵入するのを塞り、無病息災を祈ってたてたそうです。
こんだけ並ぶと迫力あります。

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さらに進んで関戸の一里塚跡です。こちらは碑だけですね。このところずっと実物を見てきたので、ちょっと寂しいカンジです。

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甚平坂です。
元はもっと急坂だったらしいのですが、明治13年6月に明治天皇がこの道を通られるとのことで、頂上から2mくらい掘り下げて坂の傾斜をなだらかにしたそうです。ありがたいですね〜。おそらく横の崖の上が本来の位置でしょうから、そこまで上がるの大変ですもんね。

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坂の途中に公園があって、そこからの景色です。いや〜、綺麗ですね。

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坂を下っていきます。

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この川、名前を濁川というのですけど、その名の通り濁っています。これほど「まんま」なのも珍しい・・・。

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岡瀬澤の碑と後ろに見えているのが永代燈です。

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さらに進んで、この辺りから中津川市に入っていきます。

(その5に続きます。)
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2017年06月18日

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その3>

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その3>

(その2からの続きです。)

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先のぼたん岩から少し進むと、紅坂の一里塚が出てきます。

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この一里塚も両塚残っています。
さすがにこれまで色々一里塚を見てくると、遠くからでも「おおっ、一里塚だ!」と分かるようになりますね。一里(4km)来たな〜って、ちょっと達成感があったりします(笑)。

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でもまだまだ歩きます。

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妻の神です。
村へ悪霊が入り込むのを防いでいるんだとか。

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さらに進んで、こちらは竹折村高札場跡です。

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この上に首なし地蔵さまがおられます。

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こちらがその地蔵さまです。
奥の大きい方です。さすがに正面からだとリアルすぎてあれなんで、ちょっと斜めからで撮ってます。
昔、二人の中間が地蔵前で昼寝をしていたが、しばらくして一人が目を覚ましてみると、もう一人の首がない。びっくりした中間が辺りを見回したが犯人は見当たらず、怒った中間は「黙って見ているとは何事だ!」と腰の刀で地蔵の首を切り落としてしまった。それ以来何人かの人が首をつけようとしたが、どうしてもつかなかった、という話が残されています。

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この上が姫御殿跡になります。
和宮さま御降嫁の際、ここに御殿を建てて休憩所としたそうです。
実際は使われなかったらしいですが・・・。

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この下の道が下街道になります。
ちなみに中山道は上街道といいます。
下街道は竹折、釜戸から高山(土岐市)、池田(多治見市)を経て、名古屋に行く道です。
この道の方が内津峠はあるものの平坦地を進み、付近には人家もあり、名古屋までの距離も4里半(約18km)近かったため、大変賑わったそうです。幕府はかなり厳しく取り締まったようですが、徹底できなかったみたいです。(そら皆便利なほう行きたいわな。)

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この先の立て看板がある辺りが槇ヶ根立場跡と伊勢神宮遥拝所跡になります。
この立場には槙本屋、水戸屋、東国屋、松本屋、中野屋、伊勢屋など9軒の茶屋があったそうです。
今も井戸や竈の跡が残されています。

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槇ヶ根一里塚です。前の一里塚から4km進みました☆

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こちらの一里塚も両塚残っています。

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さらに進んで、こちらは西行歌碑です。

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そして伝西行塚です。
西行がこの地で入寂されたという伝説が古くからあるそうです。

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ここの展望台からみた景色です。綺麗ですね〜。私は山の名前とか全然わからないんですが、恵那山とか見えているらしいです。

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ようやく十三峠を抜け、中仙道踏切を渡ります。

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西行の硯水です。西行はこの地に竹林庵を結び、三年間を過ごしたそうです。
現在公園となっています。
ここで一日目のゴールになります。

(その4に続きます。)
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2017年06月17日

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その2>

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その2>

(その1からの続きです。)

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坂を下りていくと舗装道路に出まして、こちらは炭焼き立場跡です。
ここは眺望が良く、十三峠の中では特に旅人に親しまれた立場だったとか。
やはり、この十三峠は坂と峠と立場と茶屋がやたらと多いところであります。

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ここは下りの道と分岐になっているのですが、上のこの道を進みます。

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灰くべ餅の出茶屋跡です。
炭火で焼いた餅が名物であったそうです。どんな味だったんでしょうか。

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ここも分岐になっているのですが、こちらも下るのではなく横道に入ります。

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さらに進みます。

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大久後の向茶屋跡です。
ここの平坦地を茶屋ヶ原というそうです。

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大きな中山道碑が建てられています。

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木々の中に入っていきます。アスファルト道より地道の方が断然歩きやすくていいですね☆

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みちじろ峠です。

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ばばが茶屋跡です。

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西坂です。こういう碑があちこちに建てられています。

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馬茶屋跡です。馬茶屋は馬を休ませる茶屋で軒を深くして雨や日光に当たらないような工夫がされていたとのことです。馬も休憩必要ですよね。色々考えられているんですね〜。

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深萱立場跡です。ここが大湫宿と次の大井宿の中間にあたる立場となります。
この立場は茶屋や立場本陣、馬茶屋など10余戸の人家があって、旅人にお茶を出したり名物の栗おこわや餅を振る舞っていたそうです。
まだまだ先長いです・・・。

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藤村高札場跡です。こちらは復元になります。

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どんどん進みます。

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ちょっと本筋から離れた神社の脇に芭蕉の句碑その他色々な碑が並んでいます。
何かもう読めないものとかあるんですが・・・(汗)。

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黒すくも坂です。
こんなに坂の碑があるというのに、あまり大変だった印象も残ってないです(苦笑)。

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ぼたん岩です。写真のものだけでなく、周りにもそれっぽいのがいくつかありました。江戸時代からぼたんのように見えるということで親しまれてきたものらしいです。これは想像力がいりますね〜。学術的には花崗岩の玉葱状剥離(オニオンクラック)というそうです。

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まだまだ先に進みます。

(その3に続きます。)
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2017年06月16日

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その1>

中山道を歩く 第16回・大湫宿から落合宿<その1>

 開催日:平成29年6月3日(土)〜4日(日)

前回、23回の中山道を歩いてから1週間もたたないうちに、次の中山道を歩くツアーがやってまいりました(苦笑)。いや〜、仕事もフルでやってるので中々タイトスケジュールでしたが、行けるときに行っとかないとね!人生何起こるか分からないし。
ということで、1年前に抜けた美濃路を歩いてきました。
最後の赤い橋が見えたときには感動しましたよ〜。ようやくつながったーっ(感涙)。

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今回のスタート地点は、第15回のゴール地点(ややこしいな〜(苦笑)。)の大湫宿の入る手前のところです。今回もすっっごくいいお天気でした☆素晴らしい〜☆☆

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早速大湫宿に入っていきます。
こちらは高札場ですね〜。

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奥に見えている神社が大湫神明神社で、樹齢1300年の大杉が御神木として大切にされています。
ここくらいからでないと全体が入らないくらい大きいです。

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風情ある町並みです。

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木々で覆われていて見にくいですが、こちらが脇本陣です。
部屋数19、畳数153畳、別棟6棟という広大なものだったそうです。すごいな〜。

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どこを撮っても絵になるカンジ(嬉)。

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大湫宿本陣跡です。
小学校の校庭がその跡地になります。和宮さまもここにご宿泊されているそうです。

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校庭入り口横に和宮さまの歌碑もあります。

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問屋丸森跡です。国登録有形文化財指定になっています。
建物がそれぞれ高さが違うように建てられている、などガイドの方が少し説明して下さいました。(あまり時間がなくて残念でしたが・・・。)ホントに綺麗に整備されていて来たかいがある宿場でした。

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いよいよ十三峠に入ります!
十三峠とは「寺坂、牛ヶ洞坂、曽根松坂、巡礼の坂、樫木坂、権現坂、新道坂、茶屋坂、紅坂、平六坂、いわい坂、槙坂、西行坂」の十三です。実際はもっとあって二十の峠があるそうです。
もうホントどこかしこに「○○坂」の碑があって凄いな〜というカンジ。撮るのもめんどくさくなってくるくらいで、実際かなり抜け抜けに撮ってます(苦笑)。いや、どの坂もあまり変わり映えしないしねえ〜(言い訳)。

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こちらは坂を上がってすぐのところにある寺坂の石仏群です。

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山道を歩きます。

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尻冷やし地蔵尊です。
宝永8年(1711)に伊勢の豪商熊野屋の夫人が急病になったとき、この湧き水で助かり、それに感謝して地蔵を建立したものとのことです。やはり水は貴重です。

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十三峠の三十三所観音石窟です。この石窟の中に観音様がおられます。
こちらは道中安全を祈って天保11年(1840)に建立され、三十三体の馬頭観音は大湫宿内の馬持ちたちと助郷村の人たちが建てたものだそうです。

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そして石碑のある辺りが阿波屋茶屋跡になります。

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この左側はゴルフ場らしいです。
歩いているとゴルフボールがちらほらと転がっているのが見えます・・・(苦笑)。

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十三峠の巡礼水です。
昔ここで病気になった巡礼の母子が念仏を唱えると、目の前の大岩から水が湧きだし命が助かったと言い伝えられているところです。

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権現坂の一里塚です。これは大きい〜。

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この一里塚は両塚とも残っています。

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丁度この一里塚にきたとき、鹿が塚の上で休憩(?)していて、これは珍しい〜。この写真は鹿さんが右端に写ってて、まさに退場の時のものですが、ホント見れて良かったです☆

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この先が樫木坂です。石畳道になってます。

(その2に続きます。)
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2017年06月11日

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その5>

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その5>

(その4からの続きです。)

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芦田宿を通り過ぎ、茂田井間の宿を目指します。
この分かれ道は左が旧中山道です。

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茂田井間の宿の入り口に来ました。
茂田井は「間の宿」と呼ばれ、旅籠を持たない休息所でした。
でも今も古い町並みが良く残っていてすごく雰囲気が感じられて、歩いてて楽しいところだと思いました。

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茂田井の一里塚跡です。
それっぽいこんもりした山がありますが・・・微妙。

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石割坂です。
勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったのですが、その石を割り中山道を開通させたのでこの名がついたそうです。

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今も結構キツイ勾配です。

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茂田井村上組高札場跡です。
茂田井村は戸数が多く、上組下組と2人の名主がいた時代があり、こちらが上組の高札場があった場所とのことです。

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こんなカンジの町並みです。

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茂田井村下組高札場跡です。
こちらが下組のものですね。

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蔦屋です。現在は大澤酒造株式会社です。
元禄2年(1689)に酒造業を創業されています。試飲もできます。私はお酒全然NGなので、ホント残念〜(涙)。お酒飲めないって、こういう時つまんねーなーって思いますね。
また、ここ大澤家は元文2年(1737)から明治4年(1871)まで名主を勤め、元治元年(1864)には水戸天狗党追討の小諸藩の本陣になっています。

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若山牧水歌碑です。
大正年間に若山牧水がこの地に滞在し、酒を愛飲しながら数多くの歌を詠み残されたそうです。この歌碑にはそのうち三首が刻まれています。何だかうらやましい気もします。

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その向かいにあるのが叶屋です。明治元年(1868)に酒造業を創業されていて、現在は武重本家酒造株式会社となっています。
江戸時代後期の住宅と酒造施設30棟が国登録有形文化財に指定されています。こちらは非公開だそうです。
映画「たそがれ清兵衛」のロケ地にもなったらしいです。確かに雰囲気ありますもんね〜。

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神明社です。
宝永6年(1709)に茂田井村初代名主の大澤茂右衛門が願主となり建立されました。
本殿がこの地方では珍しい神明造りだそうです。そういえば鳥居もお伊勢さんと同じ形ですよね。
この辺りで茂田井間の宿は抜けることになります。

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次の宿場、望月宿を目指します。実のところそんなに遠くなかったです。
少し上り坂で、この辺りが頂上です。

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橋を渡ります。

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ここから望月宿に入ります。

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香美屋跡です。
下駄屋さんだったそうで、今でも大きな下駄型の看板を軒下に吊るしてはります。
下駄が可愛いですね〜☆

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真山家住宅 大和屋です。
旅籠と問屋を兼ね幕末には庄屋を勤めていたそうです。
明和3年(1765)に再建されていて、現在国指定の重要文化財になっています。

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脇本陣跡です。問屋も兼ねていたそうです。
本当はこの向かいが本陣跡でした。完全見逃し〜(残念)。
本陣は大森九左衛門が勤め、名主問屋も兼ねていたとのことです。

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今回のゴール地点、佐久市立望月歴史民俗資料館です。
実はこちらは本陣の跡地に開館されました。本陣ってどんだけ広い敷地なんだ〜。
資料館、実は月曜は休館日でしたが、ご好意により開けていただけました。ありがたいです〜。
資料の説明もしていただき、尺八の演奏まで!素敵でした☆
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2017年06月10日

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その4>

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その4>

(その3からの続きです。)

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芦田宿に入って来ました。
芦田宿は芦田氏の浪人、岩間忠助と土屋右京野左衛門が神官今井曽五郎とともに、慶長2年(1597)にタ蓼科神社に納めた文書(願文)により、新駅の設立を願い出たことが伺えることから、北佐久地域では最古の宿場といわれています。

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現在の町並みはこんなカンジ。

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旅籠津ちやです。文化元年(1804)頃の創業で、現在も「金丸土屋旅館」として営業しています。
2階部分が表通りに少し出ている出張り造りとなっています。
宿泊した方だけにお宝を見せてくれるんだとか。

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角地が脇本陣跡です。近づくとガラス戸に人影が写ってしまうので、ちょっと遠くから撮っています(苦笑)。

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旧芦田宿本陣土屋家住宅です。芦田宿のメインともいえる建物だと思います。
現在の客殿は寛政12年(1800)に建て替えられて、建坪は163坪とのことです。

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見えている山々のうち、白いのがもくもくと上に浮かんでいるのが浅間山だそうです。
いや〜、何だか遠くまできたカンジがしますね。

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立科町役場の近くでお昼ご飯をいただき、再び出発です!
方向的には軽井沢に向かって歩いています。

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芦田川と芦田川橋です。

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この芦田川付近から浅間連山が見えます。すっごい良い景色ですよね〜☆
この辺りで芦田宿は終わりで、次は望月宿との間にある茂田井間の宿に向かいます。

(その5に続きます。)
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2017年06月09日

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その3>

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その3>

(その2からの続きです。)

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笠取峠に向かっております。

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笠取峠まであと1.7km地点のところです。
まだ先は長いです。

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中山道原道の標識です。本来はこちらの草道になるのですが、今回は国道を歩きました。

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こちらがその原道の出口です。ここから見る限りでは歩けるカンジはしましたけど、どうなんでしょうか。

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しばらく行くと2つめの中山道原道が出てきます。

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こちらがその出口です。こちらも今回は通っていないのですが、実際は通れそうな気はします。(というか、通ってみたかった〜。)

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さらに進んでいきます。

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この辺りは学者村といって、学者さんたちの別荘地になっているそうです。

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小県郡長和町から北佐久郡立科町に入りました。
この辺りが笠取峠の頂上になります。昔は小諸藩領と幕府領の境だったそうです。

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ちょっと盛り上がっているところが笠取峠の一里塚です。北塚のみ残っています。

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奥に松の並木が見えています。
こちらは笠取峠のマツ並木といわれています。慶長7年(1602)に江戸幕府が中山道の整備に着手したときに、その一環として小諸藩に赤松数百本が下付され、植栽されたものとのことです。以後小諸藩によって保護されてきました。現在(平成20年)は73本が残っているそうです。

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笠取峠のマツ並木の入り口です。当時から中山道の名所として有名だったようですが、いや〜、これは見ごたえあります。

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途中にある小諸藩領界石です。
文化3年(1806)に小諸藩が建てた領界石を復元したもので、「従是東小諸領」とあります。

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本当に綺麗に整備されていて、歩いていて気持ちがいいです☆

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この辺りで松並木は終わりです。
もうすぐ芦田宿になります。

(その4に続きます。)
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2017年06月08日

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その2>

中山道を歩く 第23回・ドライブイン和田宿から望月宿<その2>

(その1からの続きです。)

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2日目です。写真で改めて見ても素晴らしく天気がいいです☆
1日目のゴール地点から少し脇道に入ります。のどかですね〜。

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小屋の向こう側に四泊の一里塚跡があります。
立て札が大通りではなくて中山道側に向いているのがいいですね!

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長久保宿に入ってきました。
長久保宿は、真田氏の配下であった石合氏、小林氏が中心となって、当初は現在地より西下の依田川沿いにつくられましたが、寛永8年(1631)の大洪水で流出したため、段丘上のこの地に移されました。

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坂を下っていきます。

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旧旅籠辰野屋(竹重家)です。江戸時代末ごろの構築とのことです。
出桁造りの建物はやはり貫禄ありますね〜。

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濱田屋旅館です。長久保宿で唯一営業している旅館になります。
ここが分岐点です。

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こちらは問屋(小林家)です。
屋根には「六文銭」の鬼瓦があげられています。戦国時代末から江戸時代初期にはこの辺りを真田氏が治めていたそうです。確かに長久保宿は住所も長野県小県郡やし。おお〜っ、ちょっと(いやかなり?)テンション上がります(笑)。

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竹内家住宅(釜鳴屋)です。
銘酒「白菊」の蔵元でした。
屋根の端にある妻壁を高く突出させ小屋根をつけた「本うだつ」が目を引きます。(写真は微妙な感じですが・・・(汗)。)

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古久屋(羽毛田家)です。こちらも旅籠でした。
江戸時代天保年間頃の建築だそうです。

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左が高札場、右が長久保宿本陣です。
石合家が江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、4代目当主のもとには真田信繁の長女のすへさんが嫁いでいます。
現在は大名や公家等の賓客が利用した「御殿」と、幕末ごろの構築と思われる「表門」が残されています。
「御殿」は17世紀後半のものと推定され、中山道で現存する最古の本陣といわれています。すごいですね〜。

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こちらは一福処濱屋です。現在は長久保歴史資料館となっています。
明治初期に旅籠として建てられましたが、中山道の交通量が減ったため開業に至らなかったそうです。

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こんなのが設置されていましたが、大河「真田丸」のときはここは盛り上がったんでしょうか。
すへさんはお梅ちゃんが産んだ子でしたよね。

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ここを訪れたのは月曜日やったので、本当は休館日で閉まってたのですが、地元の方のご厚意により開けていただけました。いろいろ説明もしていただけて感謝です〜。

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丸木屋です。こちらは元旅籠です。
実はこちらも月曜は休館日で閉まっていたのですが、開けていただけました。もう本当にありがたいです。

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内部はこんなカンジです。

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吾一庵です。
こちらは江戸末期から明治初期の建物で農家型の遺構です。

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松尾神社の鳥居です。
なんと本社は京都の松尾大社です。酒造の守護の神として酒造家の尊信が厚いとのことです。

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こちらが長久保宿の江戸側の端になります。
長久保宿を抜けると、次は笠取峠を目指します。

(その3に続きます。)
posted by 花衣 悠希 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする