2017年04月16日

京都国立博物館 開館120周年記念 特別展覧会「海北友松」

京都国立博物館 開館120周年記念 特別展覧会「海北友松」 

 住所:京都市東山区茶屋町527
 会期:2017年4月11日(火)〜5月21日(日)
 開館時間:9:30〜18:00(金・土曜日は20:00まで 入館は閉館の30分前まで)
 休館日:月曜日

4月15日に京都国博に行ってきました。
今回はすっと入れて割とじっくり見ることができて良かったです。G.W.は混むかもしれませんね。
昔はかぶり付きで見る人たちばっかりでしたけど、今回はちょっと距離を置いて全体を見る人が多かったように感じます。観る人のレベルも上がってきている気がして嬉しいです。
ちなみに記念座談会は定員オーバーで入れませんでした。残念〜。

さて海北友松ですが、狩野永徳や長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠です。私も学生時代に名前だけは覚えた記憶があります(苦笑)。
この方、実は近江浅井家の家臣の家柄だったそうです。武家の出なんですね。浅井家の元家臣って結構優秀な人多い気がします。
狩野永徳に師事していたのもびっくりですし、明智光秀の重臣の斎藤利三と仲が良かったというのもびっくり。真如堂の東陽坊長盛とも仲が良くて、斎藤利三が本能寺の変の咎で処刑されたときに、友松と東陽坊がその遺骸を奪い真如堂に手厚く葬ったという伝説があります。実際真如堂に斎藤利三と友松のお墓があるそうです。これは・・・知らなかったです。
意外にも友松が頭角を現してきたのが60歳過ぎてから、というのにもびっくり。83歳まで生きたそうですので当時としては長生きなんでしょうけど、いやー、ちょっと励まされる感じがします。人生まだまだ分からないぞって(笑)。

そういう友松の画風はちょっと個性的でもあります。
初期のものはいかにも狩野派です。狩野派門下だったってのが良く分かります。「柏に猿図」の岩がごつごつした感じとか、もうめっちゃ嬉しくなるくらいの狩野派(笑)。でも地面が丸っこくなってて、そこは友松の特徴が出ています。
「西王母・東王父図屏風」の人物の書き込みの多さも狩野派の特徴です。それが建仁寺の「竹林七賢図」になると服の書き込みが少なくなってシンプル、でも筆使いの勢いがあって印象に残ります。この表現が「袋人物」と言われています。
「松竹梅図襖」(梅図)は余白ががばっと取られていて、そこにシャープな梅の枝が入るのが絶妙です。
私的には友松のこの梅の枝の描き方がすごく好きです。

あと押絵というのがあって、これは屏風の一扇ごとに絵を押す(貼る)もので、詩作の会や贈答などに用いられました。友松の押絵は高い人気があったそうです。何点か展示されていましたが、これは今でも人気高いやろう、と思うくらいセンスあります。発想がすごいです。「白鷺図」はシンプルな筆遣いなのに愛嬌あって軽い感じなんだけどちょっと目が離せません。

そして友松といえば「雲龍図」でして、色んなところで描いた雲龍図が一堂に会して展示されていました。これは迫力ありました。また妙心寺の金碧屏風で「花卉図屏風」は華やかで明るい気分になりました。
友松の作品はバラエティに富んでいて本当に見ごたえがありました。
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2017年04月01日

霊山歴史館 第78回維新土曜トーク「幕末の書について」

霊山歴史館 第78回維新土曜トーク「幕末の書について」

 開催日:平成29年4月1日(土)13:30〜
 講師:日展書家 杭迫柏樹氏
 開催場所:霊山歴史館

霊山は久しぶりかな〜と思ってましたが、実は昨年12月にも来てました(苦笑)。
京都の桜はまだまだといったカンジでした。やっぱり今年は遅いですね。

今回のテーマは幕末の書で、幕末に活躍した人たちの書からその人の性格を鑑定(?)するお話でした。
講師の先生がそれほど幕末には詳しくなくて、木村学芸課長のコメント付きでしたが、これはこれでアリだと私は思いました。(その辺りは調べればすぐ分かる話なので。)
一つ加えるとしたら、その書なり手紙を書いた年齢が分かればもっと良かったかも。
年齢によって若干変わる部分もありますから。
それにしても、改めて人によってこれほど書き癖があるとはね〜と感じました。
大体は当たっていたような気がします。
印象に残ったところを挙げますと、松陰先生の書が良い書ではないと言われたのは、これ言うには勇気がいったのではないかと思いましたが、実際のトコ超悪筆ですので大丈夫かと。逆にこれ松陰先生の、とめっちゃ分かりやすくて良いです(苦笑)。
次の清河八郎もまた特徴あって面白かったです。生き方が自由な人とのことでしたが、まさにそんなカンジでした。
あとは、龍馬絶賛だったのはリップサービスかなんかそんなカンジ?。でも私的には板垣退助もその土佐のノリを感じましたが(笑)。ちなみに土方歳三もベタ誉めでした。
徳川慶喜の書に対してはちょっと線が細いと言われていました。うーん、それもあるけど何か水戸っぽい!雰囲気が。書にはお国柄もありそうな気もします。
でもでも、やっぱり高杉晋作の書は一つ抜きんでいると思いました。
やっぱりちゃんと勉強しているのは出てきますね!
ただ書として私が個人的に好きなのは山岡鉄舟ですけどね(笑)。
それにしても高校の授業で書道を習っていたことがここで生かされるとは(しかも第一希望じゃなかった科目)、いやはや分からないもんですね〜。王羲之をお手本に書いてたのが懐かしい・・・。
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2017年03月30日

八上城跡

八上城跡
 住所:兵庫県篠山市八上上字高城山、殿町、西八上、八上下、小多田地内
 沿革:大永 6年(1526) この頃には波多野氏により築城されている。
    天文 7年(1538) 波多野秀忠が丹波守護内藤氏の居城、八木城を攻め落とす。
    天文21年(1552) 三好長慶が松永久秀と共に、波多野元秀の居城の八上城を攻める。
    永禄 9年(1566) 波多野元秀、秀治らが八上城を奪還する。
    天正 3年(1575) 明智光秀を大将とする丹後攻め開始。
    天正 4年(1576) 赤井直正の居城、黒井城を明智光秀が攻撃するのを波多野秀治が背後から攻撃し、光秀を敗走させる。
    天正 6年(1578) 明智光秀が八上城を攻撃。
    天正 7年(1579) 八上城が落城する。その後、明智光秀、前田玄以、前田茂勝が八上城を中心に多紀郡を領有する。
    慶長13年(1608) 松平康重が入封し、篠山城の築城を開始する。
    慶長14年(1609) 篠山城完成により、八上城は廃城になる。

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八上城は丹波富士と呼ばれる高城山に築かれた山城です。標高462m。
こちらは午後に登城しました。
先の此隅山城は道が無かったのですが、こちらは綺麗に整備されていました。・・・が、ひたすら階段階段でこれはこれできつかったです。なかなか頂上に到着しなくて、さすが波多野氏のお城、大きいお城だと感じました。

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春日神社内の登城口から登城します。

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主膳屋敷跡です。
八上城落城の後に政治の中心となった館跡とのことです。
春日神社の境内からも行けます。

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伝鴻の巣跡です。
西からの敵に備えた番所だそうです。
こういう看板があると分かりやすくていいですね。

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伝下の茶屋丸跡です。
ここからはすごく見晴らしがいいです。

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さらに上がって、伝上の茶屋丸跡です。

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主郭部分に入って来ました。
こちらは右衛門丸です。城主の屋敷跡になります。

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三の丸跡です。

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三の丸から一段高いところが二の丸跡です。

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本丸の一段下にある岡田丸跡です。
重臣の岡田氏の館があったそうです。ここにあるというのはホントに重臣中の重臣な感じがします。

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この山の上が本丸です。
周りに石垣の跡が残っています。

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そして本丸跡です。
ここから周囲のお城や砦に指揮していたそうです。
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2017年03月28日

此隅山城跡

此隅山城跡
 住所:兵庫県豊岡市出石町宮内
 沿革:文中年間 (1372〜75) 山名時義が築城したといわれる。
    康歴 元年(1379) 山名時義、但馬・伯耆・備後守護となる。
    文正 2年(1467) 応仁の乱勃発。山名持豊、西軍の将となる。
    明応 2年(1493) 山名政豊、山名俊豊と争う。山名俊豊が敗れ備後へ。この頃に守護所が此隅山城に移る。
    永正 元年(1504) 家臣の垣屋続成が此隅山城に攻め寄せる。近くの出石神社が焼失。
    永禄12年(1569) 織田家家臣、羽柴秀吉に攻められ此隅山城落城。
    天正 2年(1574) 山名祐豊が此隅山城から有子山城に移る。
    天正 8年(1580) 羽柴秀吉による第二次但馬侵攻により有子山城落城。

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此隅山城は但馬守護山名氏の本城としてつくられたお城です。
すべての尾根に曲輪があるのが特徴だそうです。
登城ルートは色々あるようですが、今回はふもとのいずし古代学習館から登城しました。
先に感想をいうと、色んな意味で「さすが山名氏のお城ですな!」というカンジ(苦笑)。
山城のスケールが大きいのもあるのですが、何と言ってもあまり道が整備されていないのがすごい(?)。
一応所々に立て看板はありますが、主郭手前ではロープを使わないと行けないところまで出現!・・・いや、上るのは這ってでも登れますが下りるのが大変!!
私のような素人登山者にはかなりレベル高かったです。
雨でなくて良かった、としみじみ。

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登城口はこちらです。
この柵を開けて中に入ります。
最初の方はまだ全然大丈夫です。歩けます。

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看板があります。

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尾根伝いに歩いていきます。
この尾根伝いな感じが有子山城にすごく似ているなあと思います。

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手前が堀切で、さらに進んでいきます。

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再び堀切です。こっちの方が大きいでしょうか。

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堀切の先を上がったところに土塁があります。
パンフレットには折れを持つ土塁とありましたが、ちょっとよく分からなかったです・・・。それより完全に土塁に倒れている碑のほうが気になる・・・(苦笑)。まさに、折れてる碑を持ってますな〜。

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大分上がってきました。ここにもロープがかかっていますが、ここはまだ序の口です。(まあ実際大変なところは写真に撮る余裕はありませんが・・・。)

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上の平らなところが主郭です。

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ようやく主郭到着です!
すごく見晴らしがいいので、登ってきたかいがあります。

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先に見えている山が有子山城だそうです。
ホントにそれほど離れていないんですね〜。
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2017年03月27日

出石神社

但馬国一宮 出石神社
 住所:兵庫県豊岡市出石町宮内99

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3月25日に久々に山城ツアーに参加しまして、最初に訪れたのが出石神社です。
ちなみに今回で出石は3回目の訪問になります。(別に狙ったわけでもないのですが(苦笑))
こちら出石神社は旧国幣中社で、但馬国一宮です。
とは言え、今の出石の中心地からはちょっと離れていて行きにくいかも・・・。
大昔はこっちの方が中心だったみたいです。

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・・・私はあまり社殿を正面から撮ることは少ないのですが、今回は何かこれしかなかったので載せます。
御祭神は伊豆志八前大神と天日槍命とのことです。
社殿は大正3年(1914)の再建だそうです。
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2017年02月12日

大和三山と藤原京

1月28日に大和三山(耳成山・香久山・畝傍山)に登って来ました。
この日は天気が良くてなによりでした。(でも私の体調が良くなかった・・・(涙)。)
どの山も標高はそれほどないのですが、さすがに3つともなると結構きますね。気合(?)ですね。

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こちらが耳成山です。標高139m。大和三山のなかで一番低い山です。

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山の中腹に神社があって、参道を上がると近道になります。
頂上は三角点はありますが、木々に覆われていてあんまり達成感はないです。
この山が国有林なので仕方ないですね。

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帰りはぐるぐると山を一周するように下りてきました。

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奥に見えているのが藤原京です。
持統・文武・元明の3代、694年〜710年まで16年間の都です。
私は全然古代史は詳しくなくて知らなかったのですが、この辺りの土地は蘇我氏のもので、当然蘇我氏の力が強いのを藤原不比等が嫌がって、都を平城京に移そうとしたらしいです。でも他の皆は明日香から離れるのがイヤで(この藤原京の辺りは明日香エリアに入るんだそうです。)、中々平城京に移らなくて、そうこうしているうちに、藤原京は不審火で焼けてしまって、平城京に行かざるをえなくなってしまったとか。まあ、この不審火はかーなーり怪しいですよね〜。私はてっきり藤原京は藤原氏のものだから「藤原」かと思ってましたが、この「藤原」は土地の名前だそうです。

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ちょっと奥まったところに碑が立っていました。
発掘調査もされているようです。

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こちらは香久山の麓にある天香山神社です。
境内には波波迦の木があり、古事記によると、この木の皮で雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです。
他に柿本人麻呂の歌碑がありました。
香久山の頂上へはこの神社の脇を通って上がっていきます。ひたすら急坂です。

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香久山の頂上です。国常立神社が鎮座しています。
香久山は標高152m。古代には国見の地であったといわれています。

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こちらが香久山の頂上から見た景色です。前に見えている山が畝傍山です。

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こちらは橿原神宮です。
いや〜、橿原神宮前の駅は通り過ぎてたりはしてましたが、実は訪れるのは初めてです。
この橿原神宮の裏手にある山が畝傍山です。

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ここから進んで行きます。

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畝傍山は標高199m。大和三山のなかで一番高い山です。
でも意外とだらだら道が続きます。

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こちら頂上にあります畝火山口神社の跡地です。昔は頂上にあったのですが、今は麓に還座されています。

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畝傍山から見た景色です。光の加減でよく分からないカンジになってます・・・残念。
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2017年01月11日

丹波市柏原町内散策

今回の旅の最後に訪れたのが、兵庫県丹波市柏原町でした。
ちなみに柏原は「かいばら」と読みます。
織田家柏原藩の城下町として栄えた町です。
貝原藩は織田信長の実弟、信包を初代に3代続いた前期と織田信長の次男、信雄の子孫の信休から10代続いた後期に分かれていて、現在の町割りは後期のものが残っているとのことです。

〇柏原八幡宮
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こちらの神社は万寿元年(1024)に京都石清水八幡宮の丹波別宮として創建されました。

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途中、石垣の跡が見えました。
柏原藩は石高が小さくお城を築くことができなかったので、代わりに神社を防御施設として考えていたようです。上の方には帯曲輪かと思われるような跡があるそうです。

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手前が社殿です。天正13年(1585)に羽柴秀吉によって再再建されたもので、本殿と拝殿が国の重要文化財に指定されています。奥に見えている三重塔は文化10年(1813)から12年にかけて建立されたもので、神仏習合の名残が残っています。境内に神社の社殿とお寺の塔が混在しているのは今となってはすごく珍しいです。よく残ったなあといったカンジがします。

〇木の根橋
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樹齢1000年といわれている大ケヤキの根が橋のように奥村川をまたいでいます。
これは凄いですね〜。面白いです。

〇織田神社
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木の根橋の近くにある神社です。
こちらは前期柏原藩の三代藩主織田信勝(織田信包の孫)をお祀りしている神社です。
前期柏原藩は信勝に子がなかったため断絶してしまったそうです。

〇太鼓やぐら
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江戸時代に建てられた三階建ての櫓です。藩政時代には大手門の付近にあったとのことです。
そしてこのやぐらの最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓がつるしてあるそうです。
後期柏原藩は大和国松山藩(奈良県宇陀市)から移封されてきたのですが、この太鼓はそのときから使われていて移封に際して柏原に持ってきたということです。
訪れたときには周りに什器が置かれていて写真が撮りにくかったです・・・(汗)。

〇建勲神社
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織田信長をお祀りしている神社です。
建勲神社は全国に柏原と京都市、天童市の三社しかないそうです。
元々の歴史が元禄8年に藩主が藩邸内に祠を建て、信長を祀ったのが始まりとのことです。
今もホントにちょこっとあるカンジなので、なるほどなあと思います。

〇柏原藩陣屋跡
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陣屋は織田信休が正徳4年(1714)に造営したものです。
陣屋の表御門にあたる長屋門は陣屋創建当時のものだそうです。
左が番所、右が馬見所と砲庫になっていました。

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こちらは表御殿です。
創建当時のものは文政元年(1818)の火災で焼失し、現存するものは文政3年(1820)に再建されたものになります。
堂々としたたたずまいですね〜。

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現在陣屋は表御殿の一部しか残っていないので、こんなカンジで位置を示しています。
陣屋はお城ではありませんが、それでも相当広くて立派なものだったんだなあと感じます。

〇たんば黎明館
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明治18年(1885)に建設された旧氷上高等小学校の校舎です。
現在は飲食店などに利用されています。でも内部構造はまさしく学校です。
木造ですが、パッと見そんな風に見えませんね。

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こちらは柏原藩初代織田信包像です。
何となく信長に雰囲気似ていますね〜。

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こちらは田ステ女像です。
田ステ女は寛永10年(1633)に柏原で生まれた女流俳人です。元禄の四俳女の一人でもあります。
6歳のときに詠んだと伝えられる「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」が有名です。

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2017年01月10日

丹波安国寺

丹波安国寺
 住所:京都府綾部市安国寺町寺ノ段1

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大原神社の次に訪れたのがこちら、丹波安国寺です。
こちらも丁度大阪から見て北北西にあたるそうです。

丹波安国寺は正歴4年(993)に恵心僧都御作の子安地蔵尊を安置して光福寺としたのが創まりで、上杉氏の氏寺として発展していきます。
嘉元3年(1305)、足利尊氏の母清子(上杉頼重の娘)が光福寺々内塔頭の常光寺で尊氏を安産したことから、足利氏の帰依も受けるようになりました。
室町幕府を開設後、歴応元年(1339)に足利尊氏は国家安泰を祈願して全国66か国に安国寺を建立し、その筆頭格として光福寺を丹波安国寺として現在に至ります。

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こちらは安国寺の参道左側にある足利尊氏産湯の井戸です。
今まで足利尊氏がどこ出身とか考えたことが無かったので、へーっ、ここなんか〜というカンジでした。

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正面が仏殿、左手にあるのが方丈です。
こちらの仏殿は寛保3年(1743)に再建されたものとのことです。
茅葺の屋根が目を引きます。
仏殿に安置されているのが本尊釈迦三尊座像(国重要文化財)と木像地蔵菩薩半跏像(重要文化財)です。
地蔵菩薩さまは恵心僧都61歳の時の作と伝わり、尊氏の母が祈願して安産されたことから、子安延命地蔵尊として信仰されているそうです。なかなか迫力のある地蔵菩薩さまです。

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こちらは鐘楼です。
奥に見えている門の向こう側に宝篋印塔が三基あり、左側が母清子、中央が尊氏公、右側が尊氏公妻登子とのことです。

お寺とは全然関係ないですが、さすがに丹波は寒いです・・・。
ここは昼間なのに2℃でした(寒っ)。朝の大阪が2℃だったので、ホント全然違いますね。
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2017年01月09日

大原神社

大原神社(おおばらじんじゃ)
 住所:京都府福知山市三和町大原191−1

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1月7日に恵方ミステリーツアーに参加してきました。
今年の恵方は北北西。
何と言っても天気が良くてホント良かったです☆

大原神社は安産の神として信仰を集めている古社です。
創建は仁寿2年(852)とのことです。
また江戸時代には綾部は九鬼氏の所領となり、歴代藩主の参詣も頻繁だったそうです。

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奥にあるのが本殿です。寛政8年(1796)の再建です。

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彫刻が凝っていて凄いです!

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本殿の左奥にある摂社火神神社本殿です。
本体は小さいのですが、雪除けのためにつくられた屋根が超立派で、めちゃ豪華に見えます。

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本殿手前にある絵馬堂です。こちらは文久3年の再建です。
京都府有形文化財となっています。

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神社の前にあるこの川を渡り、右に100mほど行くと大原の産屋があります。
写真の右端くらいになります。

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こちらがその大原の産屋です。
臨月を迎えた妊婦が7日7晩こもって出産すれば難産がないといわれていました。
こちらの茅葺きの産屋は大正時代まで使われていたもので、現在他に残っている産屋がないそうで貴重なものとなっています。
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2017年01月03日

京都国立博物館 新春特集陳列「とりづくし−干支を愛でる−」・「生誕三〇〇年 伊藤若冲」・「皇室の御寺 泉涌寺」

京都国立博物館 新春特集陳列「とりづくし−干支を愛でる−」 

 住所:京都市東山区茶屋町527
 会期:2016年12月13日(火)〜2017年1月15日(日)
 開館時間:9:30〜18:00(金曜日は20:00まで 入館は閉館の30分前まで)
 休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌火曜日休館)
     12月26日(月)〜2017年1月1日(日・祝)

新年あけましておめでとうございます!
今年も皆さまにとってよい年でありますように。
と、いうことで私は1月2日に京都国博に行ってきました。
伊藤若冲が目的だったのですが、他にも特別陳列をやっていて、観覧料が520円で色々バラエティに富んでいるのを見る事ができたので良かったです。
正月から博物館で過ごすのも良いなあと感じました。なんせ神社は人でいっぱいで大変。
でも2日にも関わらず、博物館も結構な人出ですごいな〜と思いました。皆熱心やなあ〜。

で、本題。
1つめの特集陳列はとりづくし、で、文字通り鳥モチーフの美術品が展示されていました。
鳥の種類なんですけど、圧倒的に鶏が多かったです。それだけ身近な動物だったんでしょうね。
一番印象強かったのは、雪舟筆「四季花鳥図屏風」(重要文化財)。
右中央に立っている鶴の存在感がすごい!ぬぼっとした雰囲気に惹きつけられます。

特集陳列「生誕三〇〇年 伊藤若冲」
 会期:2016年12月13日(火)〜2017年1月15日(日)

とりづくし展と同じく平成知新館の2Fで展示されていました。
こちらが今回の私の主目的であります☆
京都市美術館の展覧会に行けなかったので、せめてこちらでは見ておこう!と。
大規模展では展示されないものを中心に集められたそうで、ちょっとマニアなラインナップになっているのかもしれませんね。
水墨画が多かったし、その描き方が独特ですよね〜。例えば鶏でもお尻を大きく描いて端に嘴を入れるとか、その若冲の発想が面白かったです。でもそれにも増して説明板の口上が洒落っ気があって面白かったです(笑)。
そして若冲も鶏が得意で、鶏ものが多かったです。
可愛らしかったのが「蝦蟇河豚相撲図」。カエルとフグが相撲を取っているさまがユーモラスでした。
可愛らしいのと不思議さと同居している感じのものが「布袋図 無染浄善賛」。布袋さんがふっくらしてて可愛らしいんですけど、目元をよく見ると目線が定まっていないカンジでどこか微妙・・・。ただ可愛いのではないところが印象に残ります。
すごい発想やな〜と思ったのが「果蔬涅槃図」。中央に置いた二股大根をお釈迦さまに見立てて、周りを野菜たちが囲んでいるという・・・いろんな涅槃図を見てきましたけど、野菜で見立てるってのは初めて見ました。
あと、「乗興図」。これは若冲が京都から大坂まで船旅をしたときの、風景が描かれています。
白黒反転で描かれていて(要は空が黒で川が白。)、目を引きます。
特に淀ではお城が描かれていて、天守も5層でした。

特集陳列「皇室の御寺 泉涌寺」
 会期:2016年12月13日(火)〜2017年2月5日(日)

こちらは平成知新館の1Fに展示されていました。
こちらは仏像が多いカンジでしょうか。楊貴妃観音は1月11日からということでした。
posted by 花衣 悠希 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 博物館・講演会等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする