2017年08月19日

大阪市立大学共催講座<もの>から語る大阪の歴史U5回目「描かれた豊臣大坂城」

大阪市立大学共催講座<もの>から語る大阪の歴史U5回目「描かれた豊臣大坂城」

 開催日:平成29年8月19日(土)10:30〜12:00
 講師:大阪市立大学大学院文学研究科教授 仁木宏
 開催場所:近鉄文化サロン阿倍野

豊臣大坂城についての講座を見つけたので行ってきました☆
大阪市がやってる豊臣石垣公開プロジェクトに以前寄付させていただいて興味もあったので、今回のお話はすごく勉強になりました。

中井家という徳川幕府の大工の家に残されている絵図、豊臣期大坂城本丸図が一番信ぴょう性が高いらしいです。中井正清という初代大工頭が大坂城に潜入して書いたとか。ホントかどうか微妙なカンジですが・・・大坂の陣で混乱した状況だからアリかも?
でもこの絵図は見てると中々面白いです。
今の徳川大坂城は豊臣大坂城を埋め立てて建てているので、平らなベターっとしたカンジになっていますが、豊臣大坂城は高低差が激しく複雑な地形であったそうです。
色々内部も違いがあるのですが、まず豊臣大坂城は天守が本丸の北東隅にあったらしいです。現在は天守閣の隣にある貯水池になっているところです。
それから山里丸が実は山里曲輪と芦田曲輪と2つに分かれていて段差があったというのと、西側の堀が内部に大きく入り込んでいるのも違います。どういう意図があったのかしら。
あと桜門からの入城方向が今はダイレクトに東に折れるのですが、豊臣のは一旦西に折れて門をくぐり北に折れて、東に折れるという複雑な形になります。これはやはり戦国期のお城ならではという感じがしますね。
入り口は北の極楽橋と南の桜門の他に南東に水の手口という入り口もあったようです。
あと意外やったのが、石垣の高さが築城当時それほど高くする技術がなくて3段段築になっているところでしょうか。高石垣の技術はもっと後の時代になるのかと思いました。

屏風絵にも大坂城が描かれているものがあって、それも考察されていました。
屏風絵は後世に描かれているので信ぴょう性はあまり高くなさそうです。記録というよりかは物語をするためのもののようですので、あまり細かいところは気にならなかったのかもしれません。当時既に伝承になっている内容でしょうしね。

実際発掘できたらはっきりするんでしょうが、徳川時代の大坂城も価値あるものなので難しいところですよね〜。個人的には豊臣期大坂城復活して欲しいけど・・・(苦笑)。
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2017年08月13日

神戸市立博物館 神戸開港150年記念特別展「開国への潮流−開港前夜の兵庫と神戸−」記念講演会「近代港湾の黎明」

神戸市立博物館 神戸開港150年記念特別展「開国への潮流−開港前夜の兵庫と神戸−」記念講演会「近代港湾の黎明」

 開催日:2017年8月11日(金・祝)14:00〜15:30
 講師:久智広(当館学芸員)
 開催場所:神戸市立博物館地階講堂

神戸開港に関する特別展をされていて、丁度講演会もあるということで、行ってきました。
博物館に着いたのが開始10分前やったので、どうかな〜と思ったのですが、整理券番号139番で入れまして良かったです。
また実際この講演会聞いてから展覧会の資料を見たので、より理解できてなお良かったです。

講演会の講師は今回の展覧会の企画をされた学芸員さんで、すごく思い入れがあるのが伝わってきました。

さて講演会の内容なのですが、開港前の兵庫と開港後の神戸の間に断絶があるのを感じるのだけど、それは本当は連綿と続いていたものが、幕府がなくなって資料が散逸してしまっているのと、開港準備の辺りが顧みられていないためなんだということでした。

江戸時代の兵庫は、全国を結ぶハブ港として賑わっていたそうです。その他にも全国の船を修理したり造ったり、船具の補給基地でもあったりしたそうです。碇を買ったという記事もあるそうです。船作事場が今の川崎重工のあたりにあったらしいです。そんなことで、元々のポテンシャルはあったということなんですね〜。

通商条約の締結で開港が決まるわけなんですが、先行した開港地での経済の混乱や尊王攘夷運動、朝廷の反対もあって延期となり、そのため開港開市延期交渉使節団が派遣されることになります。6か月にもわたるもので、日本にとっても重要な使節団でしたがヨーロッパにとっても重要と考えられていたようです。(ロシアで撮った使節団の大きな写真がそれを物語っているとのこと。)イギリスとの間にロンドン覚書を締結し、5年間の延期が決定され、イギリスの働きかけもあって、5年延期が決まります。

その5年の間に幕府の求心力が低下。
幕府自らが天皇を守る主体であることを示す必要がでてきて、将軍上洛の運びとなります。
このとき蒸気船の艦隊で上洛を計画されます。
が、1回目は生麦事件の影響(まさかの!)で横浜港が封鎖され陸路となっています。2回目は11隻の艦隊でやってきています。
この艦隊、どこに停泊していたかというと、兵庫だったわけなんですね。このことから将軍の港として整備されていくこととなります。この後幕長戦争もあったことですし重要度は増していきますね。
で、それに伴って最新の台場も作られていきます。
台場に石堡塔があるのは兵庫にある4つの台場だけらしいです。
あと、兵庫では石炭も採掘されていたとのこと。石炭保管庫もあったそうです。今では考えられないですけどね〜。

兵庫の港の課題は灯台をつくることと、造船所の設置。
それは明治になってから達成されています。
灯台は和田灯台が明治4年に完成、造船所は川崎重工ができました。

開港したからいきなり発展したのではなくて、前々からの積み重ねがあって、開港で神戸をさらに発展させていったんだな、というのがよく分かりまして、すごく勉強になりました。
posted by 花衣 悠希 at 15:50| Comment(0) | 博物館・講演会等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その5>

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その5>

(その4からの続きです。)

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3日目は曇り空で最後は少し降られてしまいました。
こちらはJR信越本線横川駅です。現在はここが終着駅になってますが、昔は軽井沢駅までつながっていたそうです。(長野新幹線開通に伴い平成9年9月に廃線)
この横川から軽井沢間はJR線最大の難所で、ここで全ての列車が機関車の付け替えや補助機関車の連結を行っていたとのことです。その停車時間が長かったため、おぎのやの「峠の釜めし」が有名になったらしいです。

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横川駅のきっぷ運賃表です。
遂に東京山手線が近距離切符2270円で行ける場所まで来ましたよ〜!

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駅前はおぎのやさんの峠の釜めし一色です。
私も何度か食べましたが、コンパクトにまとめられている感じです。私は特にゴボウが好きなので、結構いっぱい入っていて美味しかったです☆

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線路沿いを歩いていきます。

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かなりガスがかかっていますが、こちらが妙義山だそうです。

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先ほどの横川駅に向かう電車がやって来ました。
カーブになっているところなので、構図的にはいいカンジです☆

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第十五中仙道踏切を渡ります。
これから何度か線路を行ったり来たりするのですが、まさに木曽路の中央本線と同じようなパターンですね〜。

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碓氷神社です。
色々な神様がお祀りされています。

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少し線路から離れて坂を上がっていきます。

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上がれば下りもありまして(苦笑)、前の榎踏切を渡ります。

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五料村高札場跡です。
五料村は碓氷関所付要害村で、よそ者の潜入を監視する役目を担っていたそうです。
ブラタモリで箱根の関所をやっていたときに、そんな監視の村があると言っていましたが、ここもそうなんですね〜。

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前のお東踏切を渡ります。

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五料の茶屋本陣に向かいます。
こちらの茶屋本陣は二軒あって、両家とも中島姓のため「お西」「お東」と呼ばれています。
見学の入り口は「お西」からになります。

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因みにこのポストはダミーです(苦笑)。

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こちらが「お西」です。

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お庭も綺麗にされています。
明治11年の明治天皇が北陸東海巡幸に際して、こちらが「御小休所」として使われた関係もあるのか、お部屋も隣のお東に比べて華やかなカンジがします。やはり天皇陛下が来られるのにそのままって訳には行きませんよね〜。

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こちらはお東です。
文化3年(1806)に建てられたもので、大きく改造されていないそうです。
お西に比べて質素なカンジがしましたが、部屋の並び方が上段の間、下の間、表の間とお西とお東で全く一緒でしたので、きっとお西の方も元々がこんなカンジやったのかな、と思います。

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補陀寺です。松井田城主大導寺駿河守政繁のお墓があるそうです。

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境内です。
ここで雨に降られました(残念)。涙雨やったのかしら。

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安中市役所松井田支所前で今回のゴールです。
次回は8月は休みで9月になります。
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2017年07月31日

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その4>

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その4>

(その3からの続きです。)

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坂本宿に入ってきています。
坂本宿は碓氷峠の麓であるところから「坂本」と呼ばれるようになったそうです。またこの宿場町は中山道の整備に伴い集落がないところに作られたので、整然とした町割りがなされています。

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明治41年(1908)に若山牧水が宿泊した「つたや」です。
この頃になると坂本宿もすっかり寂れてしまっていたようです。

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元旅籠「かぎや」です。
先祖が高崎藩納戸役鍵番だったことから、旅籠を営むにあたって屋号を「かぎや」にしたらしいです。
坂本宿の面影を残す建物とのことです。

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脇本陣永井跡です。
こちらは門が残されています。

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その向かいにあるのが佐藤本陣跡です。
「上の本陣」と呼ばれたそうです。

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こちらは金井本陣跡です。
上の佐藤本陣に対して「下の本陣」と呼ばれました。
和宮さまが泊まられたのはこちら金井本陣だったそうです。

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下木戸跡です。
坂本宿の江戸口になります。
これ江戸から歩いてきたら、結構感動するかもしれないですけど、逆やと「なんやこれ?」になりますね(苦笑)。京都側からやと坂本宿の文字が見えないんやもん〜。

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坂本宿を抜けて進んでいくと、川久保薬師堂になります。
難所碓氷峠の無事通過を願って建立されたものとのことです。
何か分かる気がします・・・。ちなみにこの辺りは薬師坂といってだらだら坂になっています。

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アプトの道に出てきました。
アプトの道とは、明治26年から始まり平成9年に廃線になった碓氷線の線路跡を遊歩道として整備された道です。

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碓氷関所跡です。
この関所は中山道に2つある関所の内のひとつです。
この門は昭和34年に復元されたものですが、実はこの門は安中藩管理の東門で、現在番所跡に西向きに建てられているという不思議な状態になっています。
ちなみに西門は幕府の門で天下の門だったらしいです。管理が何だかややこしいですな・・・。

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門の反対側にはおじぎ石があります。
通行人はこの石に手をついて手形を出し、通行の許可を受けたとのことです。
これはなかなかリアルな感じがしますね〜。

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こちらがその東門があった場所です。
結構距離あるので広かったんだと分かります。

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横川の茶屋本陣跡です。
代々横川村名主を勤めた武井家の西の一部とのことです。

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アプトの道の起点でもある鉄道文化むらを横目に進み、2日目のゴールになります。

(その5に続きます。)
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2017年07月29日

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その3>

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その3>

(その2からの続きです。)

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いよいよ次の坂本宿に向かって碓氷峠を下っていきます。これがまた延々と下り坂が続くので結構きつかったです。ま、それ以上にヒルの恐怖との戦いでしたが。
結局後日皮膚科に診てもらいにいきましたが、「自然治癒」しかないらしいです(苦笑)。
何かねー、色んな人にしゃべりましたがヒルに遭遇したことのない人の方が無駄に怖がっちゃって、やいやい言いますね。いやいや別に死なないし。何動揺してるのよ、なカンジ(苦笑)。まあ、気持ちのいいもんではないですけどね!

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こちらは思婦石です。日本武尊の故事を歌った碑です。

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分かれ道です。上の道は霧積温泉に行く道なので、おそらく下の道を歩いた・・・はず(忘れた〜(汗))
左にある白い看板の辺りが仁王門があったところらしいです。

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人馬施行所跡です。
江戸呉服の与兵衛が安中藩から間口十七間、奥行二十間を借りて人馬が休む家を作り、11月から3月までの間、旅人には粥と焚火、牛馬には桶一杯の煮麦を施したそうです。
この与兵衛さん、和田峠にも施行所を作っています、すごいですね〜。

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分岐なんですけど、こちらの道は文久元年(1861)の和宮さま御降嫁の際に開削された道になります。
横にある「安政遠足(あんせいとおあし)」なんですけど、これは安政2年(1855)に安中城主板倉勝明が、藩士たちを安中城から中山道碓氷峠頂上の熊野神社まで徒競走をさせたのがはじまりとのことです。日本最初のマラソン大会ですね。現在でも毎年5月に安政遠足侍マラソンが行われているそうです。

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一つ家跡です。ここには老婆がいて、旅人を苦しめたという・・・とのことですが、後世までこんな形で伝わるなんて思ってなかったでしょうね。やっぱり善行積んでいた方がいいですね。
そしてこの辺りには一里塚があったそうです。

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まだまだ道は続きます。

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山中学校跡です。
明治11年、明治天皇ご巡幸の際に児童が25人いたので25円の奨学金の下附があり、供奉官から10円の寄付があったそうです。
ここに学校があって児童が25人もいた、というのにびっくりです!

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少し離れたところに山中茶屋跡の看板があります。
寛文2年(1662)には13軒もの立場茶屋ができ、寺もあって、茶屋本陣には上段の間が2ヶ所もあったとのことです。峠道の中心地だったんですね〜。今では見る影もありませんが・・・。

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入道くぼです。
この辺りが上の山中茶屋の入り口(出口?)になります。ここまでの道はまごめ坂という緩やかな赤土の坂なんですけど、意外と広いですよね〜。繁盛していたのも分かります。

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栗が原です。
何だか良く分からない場所になってますが、明治8年(1875)にこの辺りに群馬県で最初の「見回り方屯所」が設置されたそうです。交番の発祥の地ということです。

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北向馬頭観世音です。文化15年(1818)建立とのことです。

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少し進むと南向馬頭観世音がおられます。
ここら辺足元が危険で写真撮るのも難しいです〜。
山賊が出たところらしいです。

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堀切です。山城じゃないのに堀切を見るとはびっくりです。
こちらは天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際に松井田城主大道寺駿河守が道を狭くして防戦しようとしたのですが突破されてしまったという場所だそうです。

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碓氷坂の関所跡です。
こちらは昌泰2年(899)に関所が設置されたところとのことです。

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四軒茶屋(刎石茶屋)跡です。
この辺りには4軒の茶屋があって、力餅やわらび餅が名物だったそうです。
今も石垣が残っています。

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弘法の井戸です。
弘法大師が刎石茶屋に水がないことを知り、ここに井戸を掘ると霊水が湧いたという伝説の井戸らしいです。

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覗です。ここから坂本宿が見下ろせます。
明るいところに出て、ちょっとほっとする場所です。
小林一茶がここで「坂本や 袂の下の ゆうひばり」と詠んでいます。

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柱状節理です。これはまたすごい景観ですね〜!
火成岩が冷却し、団結する際に柱状に割れを生じたものだそうです。
この辺りから細かい石がころころしていて滑りやすく凄く危ない場所になってます。

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堂峰番所跡です。
関所破りを取り締まった番所とのことです。
そういう施設も要りますね〜。

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ようやく下に下りてきました。関東平野に出てきたというべきでしょうか。
この峠はもう生きた心地しなかったです。

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トンネルを抜けます。
ここは電気が点いていたので歩きやすかったです。

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天然温泉峠の湯という施設が出てきました。
いや〜、正直すぐにでもお風呂入りたかったです〜。

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ここから坂本宿に入ります。
後ろに見えている山がこれまで通ってきた峠道がある山です。
思えば遠くまで来たもんだ・・・。でも二度と行きたくない道ですけどね(爆)。

(その4に続きます。)
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2017年07月28日

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その2>

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その2>

(その1からの続きです。)

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2日目です。最初は中山道と少し離れて観光してました(笑)。
こちらは鬼押出し園です。(住所:群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1053)
こちらは天明3年(1783)の浅間山大噴火の溶岩の名残です。火口で鬼があばれ岩を押し出した、という当時の人々が見た噴火の印象に、この岩海の名は由来しているとのことです。

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正面左側の煙がもくもく出ている山が浅間山(2568m)です。右側の山は黒斑山(2405m)です。
訪れた時はすごく山がはっきり見えて良かったです〜☆

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浅間山からここまで溶岩が押し寄せてきて、こんな不思議な景観が出来たというのは、やっぱり自然ってすごい!

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こちらには東叡山寛永寺別院「浅間山観音堂」が建立されていて、寛永寺伝来の聖観世音菩薩さまが厄除け観音としてお祀りされています。

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こんなに岩だらけの場所なんですけど、所々に草花が咲いていたりして、それもまた自然の逞しさを感じました。正直あまり期待してなかったのですが、見ごたえのある場所で面白かったです!

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次に訪れたのは白糸の滝です。(住所:長野県北佐久郡軽井沢町小瀬)
何か日本人よか外国の方が多く来てはりました(苦笑)。

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白糸の滝はこの先です。
綺麗な景色です。

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こちらがその滝です。
湾曲しているのは私は初めて見ました。
すごく優しいカンジですね〜。
浅間山の地下水がこの景観を作っていて、千曲川に流れているそうです。
・・・ということで、本筋の中山道に向かいます!

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旧軽井沢銀座通りの端のロータリーに来ました。
このロータリー、昔は列車の駅だったそうです。
初日も散策しましたけど、ここからメインストリートを上がっていきます。

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まだ朝が早いからか少し人は少なめでした。

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つるや旅館まで来ました。今回はこの先を進んでいきます。

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芭蕉句碑です。
「馬をさへ ながむる雪の あした哉」
天保14年(1843)芭蕉翁百五十回忌に建てられたものとのことです。

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軽井沢ショー記念礼拝堂です。
英国聖公会宣教師のショーが避暑地としての軽井沢を広く紹介したのがきっかけで、現在の保養地としての地位を確立したそうです。
奥には軽井沢別荘第一号のショーハウスがあります。

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さらに進んでいきます。
熊に注意という看板があります。が、実際はこの先にもっとすごい(?)のが待ち受けていました(苦笑)。

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坂をずっと上がってきまして、この先が熊野神社になります。

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熊野神社は碓氷峠の頂上で、碓氷峠の軽井沢側の発着地点でもあります。

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またこの神社は長野県と群馬県の県境に位置しています。
なので、参道にこんな表示が!

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ちなみに群馬県民は「熊野神社」、長野県民は「熊野皇大神社」と呼ぶそうで、それぞれ碑も建っています。
熊野神社は熊野の神様をお祀りしていますので、上州側に新宮、国境上に本宮、信州側に那智宮の3つの社殿が建っています。
面白いのが真ん中の本宮に賽銭箱が2つあることでしょうか。

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信州側にある、樹齢八百余年の熊野皇大神社のシナノキです。
このご神木の周りを一周すると、一年寿命が延びる、しわが一つなくなると伝えられています。

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こちらは熊野神社の向かいにあるしげの屋です。
長野県と群馬県の国境が赤い線で示されています。

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少し下ったところに見晴台があって、そこで昼食になりました。

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天気が良ければここから妙義山が見えるらしいですが、今回は全然見えなかったです・・・。
ここにも県境の標識がありました。結構あちこちにありますね〜。
ここもジョン・レノンのお気に入りの場所だとか。
・・・が、この場所、まさかの蛭(ヒル)の巣窟でして、私、食べている途中にやられました(泣)。
ブラウスのボタンも上まで留めてたし、その上にタオルを巻いていたにも関わらず、いつの間にか胸元に入ってきていて、いや〜参りました。
私、初めてヒルというやつを見ました。全然嬉しくないけど。
で、上の神社が碓氷峠の頂上なので、これから下るのですが、その道もヒルだらけである意味正に中山道最大の難所!!でした。

(その3に続きます。)
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2017年07月27日

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その1>

中山道を歩く 第25回・軽井沢から松井田宿<その1>

 開催日:平成29年7月23日(日)〜25日(火)

今回で遂に長野から群馬に入ります!
さすがにバス旅もキツくなってきました。片道約7時間は辛い・・・(泣)。
明らかに歩いているよりバス乗ってる方が長い(苦笑)。
お天気は微妙に雨に降られました。まあカンカン照りもこの季節は大変なので逆に良かったのかもですね。

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前回のゴール地点の軽井沢の駐車場です。
初日は旧軽銀座を散策です〜☆
実は昔にここを訪れたことはあるのですが、あんまり覚えていない・・・(汗)。
ちなみに旧軽銀座は中山道の軽井沢宿でもあります。今も昔も人で賑わっている場所なんですね〜。

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聖パウロカトリック教会です。
この教会の前の道が昔の中山道の道なんだそうです。

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なので、せっかくなのでその道を散策します。

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歩いていくと、神宮寺の裏手が見えます。
神宮寺ってまさに神仏習合な名前やな〜と思ったり。

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この道は途中で旧軽井沢銀座通りと合流しますので、この日はそこから道を下っていきます。(2日目は上がっていくんですけど。)
で、こちらはつるや旅館です。
多くの文人が訪れた老舗旅館で有名だそうです。
堀辰雄も定宿としていて、芥川龍之介とここで会っていたらしいです。

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この通りが旧軽井沢銀座通りです。ここを下っていきます。
さすがこの通りは中心地で人が多いです。

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手前のフランスベーカリーはジョン・レノンがよく立ち寄ったパン屋さんだとか。
奥の土屋写真店には天皇陛下や美智子さまのお若いころのお写真が展示されていました。いや〜、美智子さまお綺麗ですね〜。品があってやっぱり違いますね。

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軽井沢観光会館です。
この辺りが脇本陣江戸屋のあったところらしいです。

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・・・なんですけど、ちょっと離れたところにこんな看板があるので、実際どうなのか私にはよく分かりません(滝汗)。

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十割そば大禅の所に明治天皇軽井澤行在所碑があります。
ここは軽井沢宿の本陣で、明治天皇の巡幸のために敷地内に御昼行在所をつくり、そこで明治天皇はご昼食をとられたそうです。

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こちらは軽井沢会テニスコートです。
ここで天皇陛下と美智子さまが出会われたとのことです。

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そのテニスコートの近くにあるのが軽井沢ユニオンチャーチです。
こちらの建物はウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計されたものとのことです。ヴォーリズはメンソレータムでも有名ですよね。彼の建築は滋賀県の近江八幡に結構あって私も見に行ったことありますが、軽井沢にあるとはびっくりでした。

(その2に続きます。)
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2017年07月20日

勝龍寺

勝龍寺
 住所:京都府長岡京市勝竜寺19−25

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勝龍寺は大同元年(806)に空海の開基でして、京都洛西観音霊場第14番札所、西日本ぼけ封じ三十三カ所霊場第3番霊場となっています。

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こちら本堂です。
御本尊は十一面観音さまで国重要文化財になっています。
今はこじんまりしたお寺ですけど、由緒あるお寺なんだな〜と思いました。

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境内には勝竜寺村の氏神さまをお祀りしている春日神社があります。
神仏習合の名残ですね〜。
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2017年07月19日

恵解山古墳

恵解山古墳
 住所:京都府長岡京市勝竜寺、久貝2丁目

恵解山古墳は古墳時代中期に築造された乙訓地域最大の前方後円墳です。
長岡京にこんな大きな古墳があるとは私は今回初めて知りました。この乙訓地域には当時たくさん古墳が作られていたらしいんですが、その中でもこの古墳は最大級の大きさなんだそうです。

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後円墳側から入ります。
後円部は墓地になっています。今も昔も墓地なのね・・・。

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古墳の西側を回ります。全長128mもあるので写真に収まりきりません(汗)。

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こちらは南側です。でかい・・・。

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こちらは前方部にある鉄製武器類埋納施設の跡です。
鉄刀、鉄剣など鉄製の武器が700点もこちらに納められていたというのは、この当時としてはすごいです。

またこの恵解山古墳ですが、山崎の合戦の時に明智光秀方が陣を置いていたそうで、後円部が棚田状に三段になっていることや、前方部に大きな掘り込みがあるのは、そのときの造作である可能性もあるらしいです。
古墳に陣を置かれるのって、結構ありますね〜。確か信長も浅井長政の小谷城攻めのときに陣を置いた虎御前山も古墳でしたしね。こんもりしていて便利なんでしょうね。
posted by 花衣 悠希 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | その他史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

勝龍寺城跡

勝龍寺城跡
 住所:京都府長岡京市勝竜寺13番1号
 沿革:暦応 2年(1339) 足利尊氏の命により、細川頼春によって築城される。
    文明 2年(1470) 畠山義就が勝龍寺を陣城とする。
    永禄11年(1568) 織田信長軍が三好三人衆の一人、岩成友道を攻め、細川藤孝が入城する。
    元亀 2年(1571) 織田信長が細川藤孝に勝龍寺城の普請を命じる。
    元亀 4年(1573) 細川藤孝が信長から山城国桂川の西の地を与えられ、姓を長岡と改める。
    天正 2年(1574) 藤孝が勝龍寺城で三条西実枝から古今伝授の切紙を受け取る。
    天正 6年(1578) 藤孝の嫡子忠興と明智光秀の娘玉の婚礼が行われる。
    天正 8年(1580) 細川氏が丹後国宮津城に移る。
    天正10年(1582) 本能寺の変。山崎の合戦で明智光秀の本陣となる。
    寛永10年(1633) 永井直清が入城する。
    慶安 2年(1649) 直清が摂津国高槻藩に転封となり勝龍寺城は廃城となる。

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午後から長岡京市にある勝龍寺城を訪れました。
京都の夏は超絶暑い〜。太陽ギラギラ(苦笑)。
実はこのお城も一回行ってみたかったところでして、今回ようやく行けました。平成23年発行のお城記事を持っているので、6年越しですな・・・。
でもここはJR長岡京駅から徒歩10分くらいのところなんで、行こうと思えばいつでも行けるところだったんですけどね・・・近すぎると逆に行かないという好例ですね。

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こちらは本丸の隣の沼田丸です。
勝龍寺城は現在本丸とここ沼田丸しか残ってないそうです。
沼田丸という名は細川藤孝の奥さんの旧姓にちなんだもので、沼田氏に与えた屋敷があった場所とも言われています。

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こちらは沼田丸とは逆側から見た本丸です。いや〜、すごく見栄えのするお城ですね。

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本丸の南門です。
堂々たるたたずまいです。

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では南門側から登城します。

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こちらは現在は勝龍寺城公園として整備されています。

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北門跡です。
山崎の合戦のときには、明智光秀がこの門から逃れたと言われています。

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細川忠興と玉の像がありました。
玉(ガラシャ)の最期を知ってるだけにちょっと複雑なものもありますが・・・。

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井戸跡です。
本丸には4か所井戸跡が見つかっていて、そのうち3つが細川藤孝が掘ったものだそうです。

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西辺の土塁からみた景色です。
この土塁はお城の中で最も高く築かれていて、しかも本丸の南に張り出していました。
上がってみると、ここから敵を攻撃するにはうってつけの場所だな〜と感じますね。
posted by 花衣 悠希 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする