2017年11月21日

あべのハルカス美術館 大英博物館国際共同プロジェクト 展覧会「北斎―富士を超えて―」(パート2)

あべのハルカス美術館 大英博物館国際共同プロジェクト 展覧会「北斎―富士を超えて―」(パート2)

前回は10月8日に観覧してきて、今回は11月18日に2度目の観覧してきました。
前は5時に入館して物凄くせかされましたので、今回は少し早くと思ってやって来ましたが、まさかの整理券対応で1時間余り待たされました。いや〜、それでも中は人でいっぱい!どんだけ皆北斎好きなのよ〜。
しかも富嶽三十六景をはじめ、基本的にそんなに絵の大きいものが少ないからか全然人が動かない(涙)。
まあ美術館なんで、本当はゆっくり鑑賞したいところなんですけど、こんだけ人でうじゃうじゃしてたら駄目だ・・・(撃沈)。

そんな中、今回どーしても見たかったのがあって、それが葛飾応為「吉原格子先之図」。(11月6日〜11月19日)
生で見れたのはやっぱり嬉しかったです☆
あの光と影の描写は江戸時代と思えない!凄いとしか言いようがないです。これだけで私は来た甲斐があったと思いました。いや、ホントに。
それと鐘馗図(11月6日〜11月19日)。赤色一色で描かれていて、またすごくお顔がハンサムなの!
あと、日新除魔図十月二十三日ですね。日々除魔図を描いては庭から捨てていた北斎。それを弟子や娘のお栄さんが拾って大事に取っていたってのがすごいよね〜。またその絵も味があって惹きつけられるんですよ。
北斎さんと娘のお栄さんってホント何でも描いてるから見ていて飽きないです。面白いです。
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2017年11月20日

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その4>

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その4>

(その3からの続きです。)

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3日目は2日目のゴール地点、JR北上尾駅からスタートです。
基本アスファルト道です。この道はちょっと蛇行してますね。

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中山道上尾宿碑です。京口になります。
ここから上尾宿に入ります。
解説版の屋根の上には鐘馗さまがおられます。

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中山道碑がないと普通の道にしか見えないですね・・・。

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遍照院です。
こちらには孝女お玉のお墓があります。

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氷川鍬神社です。
上尾宿の総鎮守であります。
この神社の周辺に本陣や脇本陣がおかれていまして、上尾宿の中心地であったことが分かります。

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井上脇本陣跡です。
脇本陣建物の鬼瓦が塀の上に飾られています。
この飾り方もまた面白いですよね〜。

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愛宕神社の横を通り過ぎます。

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さいたま市に入ります。

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創業文化文政年間の老舗、河村屋です。
おつけもの屋さんです。

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南方神社の横も通り過ぎます。

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宮原小学校のセンダンです。
樹齢100年だそうです。大きいな〜。

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加茂神社です。
山城国一宮、加茂別雷神社を勧請したものと伝えられています。

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本殿の壁面には加茂の競べ馬の図が彫られています。細かくて凝ったつくりになってます。

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埼玉新都市交通の高架下をくぐります。

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大宮アルディージャの旗が飾られています。大宮市街に入ってきた感がありますねー。

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裏参道通りを歩きます。武蔵国一宮、氷川神社に向かいます。

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裏口から入ります。
さすがに境内は広いです。
丁度七五三で参拝される人が多かったです〜。

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こちらは二の鳥居です。木造では関東一の高さがあるらしいです。

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こちらは一の鳥居です。
当初はこの表参道が中山道だったとのことです。

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氷川神社から大宮駅に向かいます。
大宮駅はさすがターミナル駅、でかいですね〜。
大宮駅周辺のレストランでお昼ご飯を食べて、今回のゴールとなりました。
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2017年11月19日

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その3>

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その3>

(その2からの続きです。)

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お昼ご飯を食べたあと、再び歩きます。
古中山道筋に馬室原の一里塚がありまして、現在は西塚のみ残っています。

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一応形があります。古中山道だったから残ったのかもしれません・・・。

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塚の上に立派な碑もあります。

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さらに進んで、JR北本駅も通りすぎ、中山道北本宿の碑になります。
この辺りは江戸時代初期、中山道の宿駅として整備されていました。
後に鴻巣宿に宿駅が移され、元宿場があったこちらは本宿(元宿)村と呼ばれ、立場が置かれたそうです。

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桶川宿に入ってきました。
こちらは木戸跡です。

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写真では車があまり写ってませんが、実は意外と交通量が多い・・・。

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桶川宿碑です。
次の上尾宿まで34町とあります。3.7kmほどなので、それほど離れてないカンジですね。

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桶川宿本陣遺構です。
和宮さまも泊まられたところです。
県内の中山道沿いで現存する本陣はここだけだそうです。個人所有地なので原則非公開なのだそう。

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矢部家住宅です。
店舗部分の「店蔵」と住居部分の「文庫蔵」からなるとのことです。
店蔵の方は明治38年築です。ちょっと目を引く建物ですよね〜。

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こちらは小林家住宅主屋です。
江戸時代末期に旅籠として建てられました。

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武村旅館です。
嘉永5年(1852)の建築です。現在も営業しているとのことです。

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木戸跡です。ここで桶川宿を抜けます。

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上尾市に入って来ました。

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はす向かいの板塀の大きいお家は須田家で、武州紅花の売買で財を成したそうです。
しかしこれだけでかいと管理も大変そう・・・。

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2日目のゴール地点、JR北上尾駅です。
ここからホテルに向かい、また3日目はここからスタートになります。

(その4に続きます。)
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2017年11月17日

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その2>

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その2>

(その1からの続きです。)

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2日目は前回のゴール地点、箕田追分からスタートです。

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氷川八幡神社です。
こちらの神社は明治6年に箕田郷に祀られていた氷川社、八幡社など20余社のお社を併合して、箕田郷の郷社として現在地に祀られたものとのことです。
氷川社は六孫王源経基が大宮の氷川神社から勧請し、八幡社は藤原純友の乱を平定した源仕(嵯峨天皇第八皇子、源融の孫)が京都の石清水八幡宮から勧請したものだそうです。

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境内には箕田碑があります。
箕田碑には箕田源氏の伝承や渡辺綱の辞世、この地が武蔵武士発祥の地であることなどが書かれています。
箕田地域は嵯峨源氏発祥の地で、源仕(つこう)、源宛(あたる)、渡辺綱(源頼光四天王の筆頭)の三代はこの地を拠点として活躍しました。
なぜ綱だけ渡辺姓なのかというと、摂津国渡辺(大阪市渡辺)で養育されたためだそうです。
八幡田の地名は渡辺綱が八幡社に神田を奉納したことによるとのことです。

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宝持寺です。氷川八幡神社のすぐ近くにあります。
こちらは渡辺綱が源仕、源宛の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。
江戸時代には徳川幕府から五石の御朱印を賜っていて、伽藍も立派だったそうです。

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さらに進んでいきます。

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第三中仙道踏切を渡ります。

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鴻巣に入って来ました。

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鴻巣宿は今こんなカンジ。

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鴻神社です。
こちらは明治6年に氷川社、熊野社、竹ノ森雷電社の三社が合祀され、続いて明治35年から鴻巣町内の神社が合祀され、現在の鴻神社となっています。

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境内になんじゃもんじゃ神社があります。なんじゃもんじゃがお祀りされているとはビックリ!

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奥に見えているのが法要寺です。
加賀前田家が参勤交代の際に鴻巣宿での宿舎として勝願寺を使おうとしたところ断られ、法要寺が宿舎として提供してくれたことから、御礼として寺紋として前田家の家紋である梅鉢紋を使うことを許されたそうです。

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鴻巣宿の碑もあります。

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本陣跡です。
黒い石碑は見にくいですね〜。

この先しばらく歩いてお昼になりました。

(その3に続きます。)
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2017年11月15日

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その1>

中山道を歩く 第28回・熊谷宿から大宮宿<その1>

 開催日:平成29年11月12日(日)〜14日(火)

ちょっと私自身の体調の問題で今年中の完歩が出来なくなってしまったので(涙)、今回が今年の中山道ラストになります。本当は今回も危なかったのですが、色々あって行けることになって良かった(?)です。
一年越しは残念ですが、また元気に歩けますように!

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今回のスタート地点はJR熊谷駅です。
もの凄い良い天気!

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もうこの辺りになると、都会ですな。
奥に見えている第六中仙道踏切を渡ります。

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続いて秩父鉄道の踏切を渡ります。

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八丁の一里塚跡です。
近くには遷宮記念碑などあります。
今は立看板があるのみですが、看板があるだけでも全然マシ。

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普通の住宅街を歩きます。

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元荒川です。
こちらの川には、埼玉県指定天然記念物のムサシトミヨという魚が住んでいるそうです。
トゲウオ科に属する淡水魚で、現在は熊谷にしか見られないとのことです。

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みかりや跡です。
中山道を往来する旅人相手の茶店で、柚餅子が名物だったらしいです。
忍藩の殿様が鷹狩に来られた際にここで休んだため「御狩屋(みかりや)」と呼ばれたそうです。

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荒川の土手に来ていますが、荒川でかっ!!
対岸が見えないんですけどー。

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久下の渡し冠水橋跡碑です。
平成15年まで冠水橋があったそうですから、そんな昔の話ではないんですね。

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こちらは伊藤博文による篆額とのことですが、良く分からなかったです・・・(汗)。

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久下権八地蔵です。もう少し進むと権八地蔵がもう一つあります。

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再び荒川の土手に来ていますが、土手下、車が走ってるんですけど〜(驚)。
昔は集落があったらしいですから、どんだけでかい敷地やねん!ってカンジですね。今は流石に人は住んではいないとのことです。

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土手下に久下の一里塚跡があります。
堤防のすぐそばにマンションって、水害あったら全然アウトな気がしますが、大丈夫なんかな〜。

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土手の上から見たらこんなカンジ。

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木が植えられているところが、昭和22年9月のカスリーン台風により荒川が決壊した場所らしいです。
その時には利根川も決壊して、濁流が合流して大変な被害になったそうです。
今の流れは穏やかなので想像しにくいですが、自然災害は怖いですね・・・。

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近くに寄ってみました。こんなカンジの碑が建てられています。

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少し進んで、こちらがもう一つの権八地蔵です。

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吹上間の宿です。
こちらの宿場は幕府公認ではなかったのですが、重要視されていた宿場だったようです。
というのは、日光東照宮警護の武士が歩いた「日光火の番道」と中山道が町の中央部で交差することと、熊谷宿と鴻巣宿の間が長いため、途中で休憩する「お休み本陣」や馬次ぎの「立場」が必要だったためです。
ちなみに、吹上の名物は「忍のさし足袋」、荒川の「うなぎ」、「榎戸の目薬」とのことです。
大宮で埼玉みやげの足袋せんべいが売られていましたが、ここからきているのかーと今さらながら思いました(遅っ)。

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吹上神社のそばを通ります。

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分岐です。こちらは左の道を進みます。

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中山道の石碑です。
この辺りはこういう立派なものが割とあちこちに建てられています。
鴻巣宿まではまだまだ距離がありますね〜。

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アスファルト道は結構足にきます。

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第四中山道踏切を渡ります。
京三条大橋へ120里10町とありますが、私の場合は京から歩いてきてるので、随分と歩いてきたんだな〜と逆に感慨深いものがあります。

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線路沿いを歩きます。
東京の電車は編成が長いですね〜。いつまでたっても電車の通過が終わらない(苦笑)。

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前砂の一里塚跡です。
こちらも今は残ってなくて碑のみになってます。

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箕田追分です。
江戸を出発した旅人は鴻巣宿で一泊して、そこから一里行くとここ箕田追分に着くそうです。昔の人はホントに健脚ですよね〜。
追分からは北へ三ツ木・川面を経て、忍(行田市)や館林(群馬県)城下へ向かう道が分かれます。

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一日目はこの箕田追分がゴール!
JR北鴻巣駅からホテルに向かいます。

(その2に続きます。)
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2017年11月09日

関西元気文化圏推進フォーラム「文化芸術の再発見」] 宣長サミット

関西元気文化圏推進フォーラム「文化芸術の再発見」] 宣長サミット

 開催日:平成29年10月14日(土)13:15〜15:45
 開催場所:三重県総合文化センター多目的ホール

午後から宣長サミットに参加してきました。
結構人が集まっていて、すごいな!と思いました。三重の人たちには宣長さんは身近な存在なのかしら。

オープニングでやちまた混声合唱団の合唱と三重県知事と文化庁の方のあいさつがありました。
知事がくるんや〜、とちょっとびっくりしました。(あいさつだけの参加やったけど。知事さんも大変やね〜。)
まず基調講演は「現代に生きる宣長−伊勢志摩サミットのレガシーとして―」
講師:寺島実郎氏(一般財団法人日本総合研究所会長)
正直難しかったです・・・(汗)。
日本は中国の文明文化の影響を受け続けていて、江戸時代は中国からの自立のプロセスなんだということでした。庶民は9割中国の銭を使っていた(永楽通宝など)のが、寛永通宝を使うようになったり、暦もずっと中国の暦を使っていたのが和暦を使うようになったり。
そんな中、本居宣長はそれまで唐心で固まった時代に大和心を提唱したという、時代の変革者ともいえるとのお話でした。

そしてパネルディスカッション「今、なぜ、宣長か」
コーディネーター:池田雅延氏(元新潮社編集者)
パネリスト:田中康二氏(神戸大学大学院教授)
      ピーター・J・マクミラン氏(翻訳家)
      森瑞枝氏(國學院大學他兼任講師)
      吉田悦之氏(本居宣長記念館館長)
パネルディスカッションって大体が狭い範囲のプロが登壇しているので、お互いの話が全くかみ合わないのがほとんどなんですが、今回もやっぱりそうでした(苦笑)。ホント盛り上がらないですよねえ。それぞれの話は興味深くて面白いんですけどね〜。
まず田中さん。文学から宣長の研究をされている方で、「もののあはれをしる」説の話をされていました。
<「もののあはれをしる」の内容>
@源氏や古典の和歌など文学をよむ際の心得。功利的な文学観(儒教、仏教)を否定し、読む者の心を震わせるものであるということ。(近代的な文学観)
A知的に認識するメカニズムがある。目で見て知覚し、脳で認識し、心で受け止めるという、感情論ではなく認識論である。
B人の痛みを理解する、共感、思いやり、感情移入。他人の立場に立ってものを考える。
文学からのアプローチは私も文学部出身ですのであまり違和感なかったです。

次に森さん。宣長は自分に正直に生きた人。自分のありようを理論的に明らかにしようとした人だとのことでした。古事記伝では3次元的な書き分けをされているそうで、文字の大きさが違うらしいです。これは活字本になると文字の大小が分からなくなってしまうので、実際の本を見ることも大事だとおっしゃってました。
発想が独特なカンジでした。

で、吉田さん。記念館を支えている人は宣長研究者、松阪・三重の方、ほとんど知らない方の3種類に分かれるらしいです。日本って何なんだろうか、となった時、宣長を押さえればある程度分かるとのことでした。

最後にピーターさん。彼は日本の古典を英訳して発信する活動をされているアイルランドの方です。
宣長の魅力は@生き方。(日本的。おかげで生かされている。)Aみなあやし。(すべてのものが不思議なもの。)B素直になる。
「おかげ」や「素直」という言葉は英語にはないらしいです。
俳句より和歌の方が精神性が現れているのではないか、ということで、和歌を吟じてはりました。
外国の方が和歌を吟じるって、すごいですよね〜。伸びやかで、こういう世界もあるのか、と逆に教えられました。
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2017年11月08日

三重県立美術館 開館三十五周年記念V「本居宣長展」

三重県立美術館 開館三十五周年記念V「本居宣長展」 

 住所:三重県津市大谷町11
 会期:2017年9月30日(土)〜11月26日(日)
 開館時間:9:30〜17:00
       *入館は閉館30分前まで
 休館日:毎週月曜日(10月9日開館)、10月10日休館

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無料でチケットをいただいたこともあって行ってきました。
何と言っても美術館で本居宣長展をするという発想がすごいですよね〜。
歴史なんですが、やっぱり雰囲気がちょっと違う気がしました。

ということで簡単に印象を書きたいと思います。
まず展示リストがないってのがびっくりでした。大概のところはあるんですけどね・・・(苦笑)。
そして本居宣長は交友関係広いな〜という印象でした。
円山応挙の息子さんの応瑞さんの筆と宣長さんの賛の合作は繊細なカンジで綺麗でした。
大和絵の大御所、土佐派の方との合作もありました。それも綺麗でしたね〜。
あと宣長さんはマニアだなーと思ったのが源氏物語研究。細かいところまでピックアップしてまとめているのが、なんかもうホントに源氏好きなんだな〜と思いました。夢にまで見たってありましたし。
それと結構宣長さんの自画像が描かれているんですけど、その中で鴨川(祇園)井特のがアクが強くて目を引きました。というか、他にも井特さんの絵が展示されてましたが、どれも面白いくらいクドい!!(大笑)。
いや〜、なかなかこういう表現ないなーと思いました。
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2017年11月07日

津偕楽公園

津偕楽公園
 住所:三重県津市広明町147−1

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10月14日に三重県の津市を訪れました。
宣長サミットがメインでしたが、途中この偕楽公園に寄りましたのでブログに載せます。

偕楽公園の付近は昔は「下部田山」または「御殿山」と呼ばれ藩主の鷹狩り場の休憩所の御殿が建てられていたといわれています。津藩第11代藩主藤堂高猷(とうどうたかゆき)公が安政年間(1854〜60)に別荘を設け、「御山荘」と呼ばれていたのが偕楽公園の始まりとのことです。偕楽園の名は園内の亭舎に「偕楽園」の扁額が掲げられていたことによるそうです。

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緑が癒されます〜。

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こちらの常夜灯は「部田の常夜灯」で、元は塔世橋の南詰にあったものとのことです。

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変わった形の常夜灯もありました。
龍灯籠といい、藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったとも、二代藩主高次が江戸で作らせたものを移したものとも伝わっています。

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大名庭園に池はつきものですが、こちらもちゃんとありました!
実はこの公園にはたくさんの顕彰碑が建てられていたのですが、あまり興味なく・・・すいません(汗)。
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2017年11月06日

あべのハルカス美術館 大英博物館国際共同プロジェクト 展覧会「北斎―富士を超えて―」

あべのハルカス美術館 大英博物館国際共同プロジェクト 展覧会「北斎―富士を超えて―」 

 住所:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1−1−43 あべのハルカス16階
 会期:2017年10月6日(金)〜11月19日(日)
 開館時間:10:00〜20:00(火〜金)
      10:00〜18:00(月土日祝)
       *入館は閉館30分前まで
 休館日:10月10日(火)、16日(月)、23日(月)、30日(月)、31日(火)

先のシンポジウムに参加したあと、美術館に寄って来ました。
5時くらいだったので、すぐ入れたのですが、中がもういっぱいこで全然進まなくて、そうこうしているうちに閉館になってしまって、最後の方駆け足でざっと見ただけになってしまいました。
もっとゆっくりじっくり見たかったな〜。残念。
土日の閉館午後6時ってありえなくね?早すぎじゃね??

ということで、簡単に感想です。
重文指定の二美人図はさすが艶やかなカンジでした。
ライデン国立民族学博物館所蔵の一連の絵画は日本っぽくない彩色だと感じました。光が明るいです。
富嶽三十六景シリーズを生で見れたのは良かったです☆
でもこれって、実は大英博物館やメトロポリタン美術館が持ってるんですね〜。
シリーズものは富嶽三十六景だけじゃなく、諸国滝廻や諸国名橋希覧というのもあるんですね。写実的なものではなくて、そのデザイン性を楽しむといったところでしょうか。その発想力は凄いです。
私が一番印象に残ったのは「濤図」です。テレビとかでも取り上げられてましたが、やっぱり生は全然違います!その迫力がビンビン伝わって来まして、この濤図にかける想いというか凄みをすごく感じました。
あと、北斎の娘のお栄さん(応為)の作品も展示されてました。
朝井まかてさんの「眩」を読んだとき、その本の表紙に使われていたのが「吉原格子先之図」で、こんなのを描く人が江戸時代にいたのか!と背筋がゾクゾクしたところから興味を持ったのですが、前期は展示されてなくてちょっと残念でした・・・。
でも「月下砧打ち美人図」が見れたのは良かったです☆赤い襦袢がちらっと見える表現が可愛らしかったです。
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2017年10月29日

「北斎―富士を超えて―」展開催記念 日英シンポジウム「北斎研究の現在」

「北斎―富士を超えて―」展開催記念 日英シンポジウム「北斎研究の現在」

 開催日:平成29年10月8日(日)14:00〜17:00
 パネリスト:ティモシー・クラーク(大英博物館アジア部日本セクション長)
       アルフレッド・ハフト(大英博物館アジア部日本セクション プロジェクトキュレーター)
       浅野秀剛(あべのハルカス美術館館長)
       大久保純一(国立歴史民俗博物館教授)
       秋田達也(大阪市立美術館主任学芸員)
 開催場所:あべのハルカス25階会議室

あべのハルカスで北斎展をやるということで、展覧会を見る前にシンポジウムに参加してきました。
国際浮世絵学会共催で、学会の発表会も兼ねているとのことで、お話がかなり専門的でした。私にはレベルが高かったですが、理解した範囲で書いていきたいと思います。

T.研究発表
@「北斎風景画の空間構造」大久保純一氏
北斎は物語空間では一点透視図法を使っていることが多いけど、現実の風景ではそれはあまり見られない。
洋風風景画の作品は奥行があって深い空間があるそうです。
発展的にそうなっていったという訳ではなさそうだというお話でした。

A「北斎筆「潮干狩図」(重要文化財)について」秋田達也氏
こちらは大阪市立美術館所蔵のもので、元は個人が持っていて昭和50年に寄贈されたとのことです。北斎の絵で重文指定第一号だそうです。あと2つ重文指定があって、一つは2001年「二美人図」、もう一つは2003年219枚セットで個人所有のもので九州国博に寄贈されたものらしいです。
この潮干狩図は横長の肉筆画です。司馬江漢の洋風画の影響を受けているそうです。

B「ボストン美術館所蔵、北斎の未刊の武者絵本について」浅野秀剛氏
「日本名将伝」「大日本将軍記」について。大日本将軍記は典拠は吾妻鏡だろうとのこと。(吾妻鏡は鎌倉幕府将軍の年代記。)これは絵本ではなく、読本の挿絵ではないかとのお話でした。

C「社会的文脈における後期の北斎」アルフレッド・ハフト氏
時代は文化文政期で変化の時代、北斎は世の中に関わって活動しているようです。
徐福図というのがあるんですけど、これは北斎が厄除けで毎日一枚描いては窓から捨てていたものを娘のお栄が取っておいたものだそうです。

D「北斎―最後の三年間―」ティモシー・クラーク氏
北斎は93回引っ越しをしているそう。
この展覧会テーマが北斎晩年の芸術を語るというもので、晩年90歳の龍には重みがあるし、生命力が感じられるとのことです。
三代為一が北斎とお栄の暮らしぶりを描いているそうです。

U.パネルディスカッション
パネルディスカッションは上の5名の方が登壇されてお話をされていました。
が、大体においてパネルディスカッションは盛り上がらないですね(苦笑)。
それぞれの方の専門が違いすぎて、かぶらないんですよねー。これはもう仕方ないところなんですけどね〜。
posted by 花衣 悠希 at 11:52| Comment(0) | 博物館・講演会等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする